前略、今川勉 様。
貴君の訃報に接し、いささか狼狽しながら、この手紙を書いています。
私は、貴君の事を、ほとんど何も知らないのです。
けれども、私は貴君の叩くドラムの音を、自身の生活のなかで、知らず知らずのうちに、何万、何十万回と聴いて生きてきました。
だから貴君の死は、自身の生活の一部が、すっぽり失われたような感覚に陥らしめる出来事であったわけです。
こうしているうちにも、貴君のドラミングの木霊(ECHO )が、私の頭の中で幾重にも鳴り響いています。
貴君について、私はそれだけの関わりしか持たない男なのですが、それでも私の中の衝動を抑えることはなかなか難しく、それに身を委ねることにした次第です。
なお、ここに記す貴君のバイオグラフィーは、多分に私の主観をもとに構成したものです。
貴君及びファンの皆様の、お怒りを買う点もあるかと存じますが、何卒ご寛恕のほどをお願いいたします。
それでは、貴君がドラムを叩いた代表曲を。
ZOO ECHOES
辻仁成とエコーズ結成。
その昔、若かった貴君は、東京のジーンズショップでアルバイトをしていた辻仁成という男と知り合ったそうですね。
なかなかの変わり者だったその男と貴君は、すっかり意気投合し、エコーズというバンドを組んだとのこと。
そこから、貴君のバンド人生は始まったと聞いています。
この曲は、その変わり者と貴君が書いたのですね。
これを聴くと、赤の他人の私でさえ、二人の青春が今にも甦ってきそうな郷愁に誘われます。
TUG OF STREET ECHOES
- アーティスト:ECHOES
- 出版社/メーカー: Sony Music Direct(Japan)Inc.
- 発売日: 2017/05/31
- メディア: MP3 ダウンロード
この曲は、エコーズのLIVE で、必ず演奏される曲だったそうです。
当然ですよね。
エコーズは、この二人で始まったのですから。
貴君と、この変わり者とのタッグは最強だった…。
それは、この曲が何より物語っています。
相方だった変わり者は、貴君の逝去の報に、しばし茫然としている模様です。
でも、たくましい奴だから、きっと貴君との青春の日々を反芻して、新しい小説を書き出す事と思います。
その点では、今の貴君も、穏やかに永眠しているだろうと想像します。
次の曲も、このバンドの代表作のひとつ。
JACK ECHOES
エコーズ解散。KAIFIVE へ加入。
1989年、ようやくシングル「ZOO 」がスマッシュヒットして、バンドにブレイクの兆しが訪れた頃、相方の変わり者が新人文学賞を受賞するという転機を迎えます。
それから2年後、ECHOES は解散。
相方の文筆業への傾倒により、齟齬が生じたのでしょうか。
相方は、自分がバンドをぶっ壊した、と言っていたように記憶していますが、貴君の胸のうちは、いかなるものだったのでしょう。
ともかく貴君は、新たな一歩を踏み出すことになります。
バンド解散とほぼ時を同じくして、博多出身の大物ミュージシャンからバンド加入へのオファーを受けたのです。
その男の名は、甲斐よしひろ。
その時の、貴君の決断は早かった。
新たな船出は、順調に漕ぎ出したように見えました。
新ユニットから、ヒット曲も生まれました。
風の中の火のように KAI FIVE
このドラマ・タイアップ曲は、かなりヒットしましたが、バンドはその時期から変貌を遂げて行きます。
博多の大物ミュージシャンの旧いナンバーを演奏するようになって、KAI FIVE のオリジナルは、LIVEからほぼ消えてしまいます。
正直に言うと、私は、博多の大物ミュージシャンのバックバンドになってしまった貴君の人の好さが、歯がゆくて仕方がなかったのです。
あのエコーズのバンマス・今川ツトムは、いったい何処にいってしまったのか、と。
そして、KAI FIVE は、結成から 3年後には活動休止に至ります。
貴君は、再度の仕切り直しを余儀無くされますが、その後も音楽活動を継続します。
音楽業界では誰しも一目を置く、エコーズのドラマー・今川ツトムには、それ以外の選択肢はあり得ないと貴君自身も思ったでしょうし、周囲も当然のようにそれを期待した筈です。
生死の境を彷徨う日々。そして復活の日。
そんな時、貴君は大病に見舞われます。
動脈瘤乖離と言われる病で、生死の境を彷徨うことになるのです。
かつての相方で小説家になった男も、この時は貴君の身をかなり案じていたようです。
20分間の心臓停止という危機を乗り越えて、貴君はかろうじて命を取り留めました。
こんな状況下にあっても、貴君は再びドラムスティックを握ろうと、故郷・秋田を本拠としながら、壮絶なリハビリを続けたのです。
そして、復活の日がやって来ます。
2006年10月21日。
貴君は再び、ステージに立ちました。
病魔に倒れてから、12年の歳月が流れていました。
恐るべき子供達へ ECHOES
エコーズ 20年ぶりの始動。渋谷公会堂「連帯の日」での終焉。
その後、エコーズは2011年、あの大震災を機に、福島のライブハウスで、20年振りの復活LIVEを行います。
この夜は、メンバー全員にとって、光輝くような最高の一夜となったことでしょう。
そして貴君ら 4人は福島に続き、震災復興支援を目的とした「連帯の日」と称する公演を、各地で翌年にかけて行います。
そして、2012年5月12日の渋谷公会堂での「連帯の日」LIVE 。
これが、オリジナルメンバーでの最後のLIVE となったのでした。
SHOTGUN BLUES ECHOES
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映画「緑色の部屋」。死者への愛情に生きる男。
唐突ですが、貴君はフランソワ・トリュフォーという映画監督の「緑色の部屋」という映画を観ましたか?
どんな映画かというと、主人公が新聞記者の話です。
彼の仕事は当然ながら取材をして記事を書く事ですが、彼は何と訃報記事専門の記者なのです。
若い頃に妻を亡くした彼は、その後の人生をひたすら亡妻の思い出とともに暮らし、仕事さえも、死者への愛情を注ぐことによって、たつきを得ているのです。
彼には、新しい愛を得る事が亡妻への裏切りとしか感じられず、未来に背を向けたままでしか生きられない宿命を、自身に課しているのです。
彼は、古い礼拝堂を買い取り、そこに亡き妻を始めとする、過去に自分が愛した芸術家や作家などの、死者たちの肖像画や遺品を飾った祭壇を設けます。
そこで蝋燭の炎を灯し、祈りを捧げることを日課としているのです。
そして、この新聞記者を演じているのは、監督のトリュフォー自身なのです。
この映画は、極めて私的なトリュフォー自身の思い入れによって製作されたもので、市場価値が無いためか、現在、あらゆるメディアで観ることができません。
木霊のように。魂を揺さぶるドラムの響き。
話がずいぶん逸れましたが、貴君への手紙をしたためながら、私は自身がこのトリュフォーの感性に近いものを持っていることに驚くのです。
私は若い頃から、亡くなった作家やアーティストの作品を、好んで愛してきました。
しかし、同時に、70年代から80年代に青春を過ごし、多くの現役のアーティストたちをも愛してきました。
そして今では、それら多くのアーティストたちも、確実に老いを迎えつつあります。
私は、その現実にどう立ち向かって行ったらよいのでしょうか?
これからは、この新聞記者のように、訃報記事を書く事を、生きるヨスガとしていくのでしょうか?
親愛なる人が亡くなるたびに、私は、人間の業というものを考えます。
人は死にゆく定めにありながら、何のために生まれてくるのか?
いつしか滅びゆく己れの残された命を、どう生きていけばよいのか?
そう自分に問いかけます。
おそらく、このような私の感傷を貴君に訴えるのは、お門違いというものでしょう。
しかし、これだけは申し上げておきたいのです。
私が先ほど書いたような畏れの感情を抱いたのは、何ゆえでしょうか?
それは、私が親しんできたアーティストの中でも、とりわけ特別な作品に関わった者のひとりが、今川勉であったからなのです。
私は、貴君の演奏を生で見たことも無く、聴いたこともありません。
貴君の演奏をCD で聴くようになったのはエコーズ解散後であり、KAIFIVE 時代も私には LIVEに行く余裕すら無く、生活に追われていたのです。
震災後にエコーズが再結成したときですら、私は心の大病に冒され、病院の中で生活していたのです。
貴君とは、この憂き世に於いて、すべからく縁に恵まれませんでした。
しかし、貴君の演奏を、私は生涯 聴き続けることでしょう。
そして、貴君の刻んだドラムのビートは、命ある限り、私の魂を激しく揺さ振り、木霊のように、鳴り続けることでしょう。
最後に、乱筆、乱文、いらざる憶測をはらんだ、傲慢この上無い、好き勝手な便りを差し上げました事を、どうかお許しください。
そして、御霊安らかに、お眠りください。
今川勉 様。
デラシネ拝。