MIDNIGHT HERO

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小久保裕紀さんを巡る数奇な物語。新生ホークスに、エールを❗️

こんばんは。デラシネ(@deracine9)です。

本日は、今年から福岡ソフトバンクホークスの監督として指揮を取ることになった、小久保裕紀さんについて、熱く語ろうと思います。

ミスターホークス、小久保裕紀監督の現役時代。

小久保裕紀さんと言えば、前身の福岡ダイエーホークスを初優勝に導いた4番打者。

ホークスの選手会長もキャプテンも務め、王監督の愛弟子であり、413本のホームランと2041本の安打を放ったスラッガー。

福岡では、知らない人はいないと言えるほどの、レジェンドです。

 

ですが、その人となりについては、あまり知らない人も多いのではないか、と思います。

 

なぜ、彼がミスターホークスと呼ばれるのか?

現役引退まもない頃に、常設された侍ジャパンの初代総監督に選ばれるほどの人格とは何か?

巨人への無償トレードは何が原因だったのか?

 

これらの回答は、小久保裕紀さんが現役を引退してすぐに出版した著書「一瞬に生きる」の中にあります。

しかし、巨人へのトレードについては、小久保さん自身が「これは暴露本ではない」と記すように、大筋は分かりますが、詳細な記述はなされていません。

 

ここのところは、一ファンとして、ホークスを見捨てて巨人へ行った、などという誤解を、絶対に解いておきたいところです。

衝撃の無償トレード。

2003年11月3日。

その年のホークスは、初優勝以来の日本一を達成し、前日に福岡市内で優勝パレードが行われ、歓喜の余韻が醒めやらぬ日の出来事でした。

 

私は、その日の早朝、大病を患っていた父の訃報を受け、故郷へ向かう列車の中にいました。

父の死にどう向き合うかという非情な命題に、半ば茫然としていました。

 

そして、何気なく携帯を開き、ネットニュースを眺めた瞬間です。

「小久保、巨人へ無償トレード」。

その見出しに、身体中に電流が流れたような、衝撃が走りました。

 

何というタイミングだろうと思いましたが、小久保裕紀さんと私の人生の節目には、このような不思議な符合があるのです。

 

その年、小久保さんは、オープン戦で大けがをし、1年を手術とリハビリに過ごしていました。

右膝前十字靱帯断裂を始めとする、診断名が四つも五つもつく、大怪我です。

その年の優勝したシーズンに、小久保さんは出場していませんでした。

 

トレードは、ホークスの選手はもちろん、当時の王監督さえ寝耳に水の出来事だったようです。

その後、スポーツ紙をはじめとするマスコミが、このトレード問題を一斉に報じました。

一番詳細に内幕を報じたのは、やはり地元紙の西日本スポーツだったと思います。

 

西スポは、当時のオーナー代行、高塚猛のやり口を、それ以前から批判的に報じていました。

 

高塚は、リゾートホテル事業再建の実績を買われてダイエーに招かれ、球団の経営事業建て直しに大きく貢献したもようです。

そして、ダイエー創業者・中内功氏が一線を退き、息子の中内正氏がオーナーの座に着くと、球団社長兼オーナー代行として、一挙に球団フロント内で権力を握りました。

 

そこからの球団や選手に対する乱行や、傍若無人はひどいものでした。

小久保さんが著書に出したエピソードだけでも、相当なものです。

 

ヒーローインタビューのときに、酒に酔い派手な服を着た一般女性をベンチに招き入れ、選手と一緒に写真を撮らせたり、サインをさせたり。

また、選手やスタッフしか立入できないサロンにも同様で勝手に入れたり。

当時、小久保さんは選手会長でした。

選手会長は、選手たちの要望や意見をまとめて、球団フロントと交渉するのが大きな役割です。

当然、小久保さんは球団側に、この人物の、球団の私物化とも言える行動を、止めるよう強く要望しました。

選手会長としては、ごく当たり前のことです。

 

また、のちに分かることですが、高塚は球団の女性職員やチアリーダーに対して、常習的にセクハラ行為をしていました。

それについても小久保さんは、抗議をしていたと言われています。

 

そんな小久保さんの態度が気に入らなかったのでしょう。

オープン戦で起きた公傷にも関わらず、球団側は一切治療費を出しませんでした。

当初は、オーナーだった中内正さんが、治療のための全面的なバックアップを約束していたのですが、それを撤回させたのです。

まさに露骨な嫌がらせでした。

 

その後も、小久保さんのことを「2億円の不良債権」などと暴言を吐き、小久保さんのホークスへの残留を断ち切らせるような言動で、挑発しました。

 

小久保さん自ら、ホークスを去りたいと言わしめるように画策したのです。

球団のフロントからそのような仕打ちを受ければ、プロである以上、必要とされていないと思い、そこで闘おうという意欲を失くすのは、当然の結果でしょう。

 

小久保さんは、メジャーへの挑戦も考えたようですが、どういう経緯か、資金力のある巨人への無償トレードとなったのです。

当時の王監督は、マスコミに対し、このような前例を作ってはいけない、と発言され、暗に球団フロントを批判されました。

あの穏やかな王さんさえ、そうだったのですから、チームメートやファンの怒りは語るに尽くせぬものがありました。

 

当時、小久保さんと共にクリーンナップを打ち、平成のON 砲と呼ばれた松中信彦さんは、球団に対し、ふざけるなと言いたいと発言し、チームメイトの意志として、優勝旅行ボイコットを表明。

 

一ファンとしては、球団の行為に対して選手会が取った行動に、もちろん賛同しました。

しかし、この事がのちに、松中さんにボイコット癖があるかのような記事が出て、一般の方の誤解を生むことになりました。

 

私はこれも大きな誤解として、皆さんに知って欲しいことです。

松中さんは、小久保さんの盟友でありライバルとして、常勝ホークスを引っ張った人格者です。

その頃、私は福岡ドーム(現・PayPayドーム)に隣接するシーホーク・ホテルに何度か宿泊した事がありますが、部屋には高塚の著書が必ず数冊、置いてありました。

 

のちに、高塚が会社の経費で自著を1万冊購入させたとして、社を追われる原因ともなった書籍でした。

 

結局、悪事千里を走るという言葉どおり、翌年になると、高塚は数々の不祥事を糾弾され、社の役職すべてを解任されました。

その翌月には、女性社員などへのセクハラ行為があったとして、強制わいせつ容疑で逮捕・起訴され、2005年には懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を受け、社会人としての地位も名声も、一挙に失うことになりました。

 

2000年初頭のホークスは、球団内部にこんな問題を抱えて、同じような理由で、次々と主力選手を失っていくことになりました。

工藤公康さん、村松有人さん、井口忠仁(現・資仁)さん。

みな、フロントがしっかりしていれば、手放すことはなかった主力選手です。

 

しかし、小久保さんは、すべてを前向きに捉え、巨人へのトレードで自身が遭遇した経験が生きて、今があると言い切ります。

今年、西武ライオンズから移籍した山川選手のFA人的補償問題に絡んで、甲斐野央投手がホークスからライオンズへ移籍することになりました。

 

このとき、小久保監督が甲斐野投手に掛けた言葉が、ニュースでも取り上げられました。

人生で起こることは、すべてにおいて、必然、必要、ベストである。

私もまた、この言葉に救われた一人です。

その後、小久保さんは、2007年にFAでホークスに復帰しました。

 

このあとは、小久保さんが引退された頃の話をします。

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引退試合とテレビ出演。

小久保裕紀さんの引退試合は、2012年10月8日でした。

相手はオリックスバッファローズ。

ペナントレースでは、ホーム最終戦です。

 

多分に私事が入りますが、お許しください。

私は、母親とふたり、当時の福岡Yahoo JAPAN ドームで試合を観戦し、小久保さんの引退セレモニーを目にしました。

 

試合結果は、なんとオリックスの若手だった西勇輝投手がノーヒットノーランを達成するという幕切れでした。

私はノーヒットノーランの試合を観たのは初めてでしたが、小久保さんも選手生活で初めて食らったノーノーだったそうです。

当時の私は、仕事でメンタルをやられて、2年間、職無し状態でした。

評判の高い病院に二度も入院して、それでも快復せずに、半ば投げやりに生きていた頃でした。

 

小久保さんの引退試合を観て、数日経った日のことです。

通っていたクリニックの臨床心理士のHさんから、携帯に電話が入りました。

お昼頃でしたが、私はまだ寝ていたと思います。

 

私は起きたばかりで、頭がまだ寝ている感じでしたが、仕事復帰のために話し合おう、という内容の電話でした。

クリニックで会うと、Hさんからは、復職までのプランを提示されました。

このままいけば、半年後には職場での休職扱いも終わり、解雇されるという現状です。

それでいいのか、と念を押されました。

 

それからは、Hさんのサポートを受けて、毎日の生活を復職した想定でスケジュールを組みました。

朝は9時に、借りている自習室に擬似出勤をします。

それから5時までは、自分で考えたリワークのための読書やパソコンソフトのエクセル、ワードの勉強をします。

そのあと、軽い夕食を取り、6時からはスポーツジムに通い、週5日の仕事に耐え得る体力をつけるためのメニューをこなします。

 

まさに戦列復帰のための、リハビリの日々です。

 

それを続けたあと、クリニックでHさんに、実際に行ったことを日誌に書いて、また指導してもらうのです。

まさにマンツーマンの指導でした。

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2週間ほど経って、Hさんに日誌を見せたときのことです。

「うわあ、やりましたね。これを続ければ、もう復職ですよ」

Hさんは、驚いたような声を上げました。

私は、それをほとんど信じられない気持ちで聞いていたのですが…。

 

その後も、その日課を1か月、2か月と続けました。

2年間、何もしていない身体です。

それを続けるのは、相当しんどいことだと、やっと分かりました。

一度は根をあげかけましたが、Hさんには、断固として続けるよう指導されました。

 

なぜ突然、そんなに頑張れたかと言えば、思い当たることはひとつです。

引退したばかりの小久保さんが、NHK は元より福岡のローカル各局の「引退特番」に週一回は出演していて、その言葉に励まされたからです。

もちろん、引退セレモニーの感動もあったと思います。

 

そのルーティンの生活とともに、私の体調はグングン上がってゆき、翌年の3月には職場復帰することができたのです。


それにしても驚くのは、、小久保さんの引退に際して放送された特番の多さです。

福岡の民放各局は、ほぼ全局と言っていいくらい制作しました。

 

こんな待遇を受けたホークスの選手はほぼいません。

 

RKB毎日放送などは、小久保さんのために、記念のメモリアルボードを作成しました。

作成されたのは、400号ホームラン、2千本安打、引退セレモニー、ラストシーズンの2打席連続ホームランの写真が、それそれに嵌め込まれた4種類。

 

それを、ホームラン数にちなんで、413個販売したのです。

 

これも、ミスターホークスたるゆえんでしょう。

 

 

小久保さんの引退試合からの5か月間は、私にとって、奇跡のような偶然が重なり、驚きの連続の毎日でした。

 

こんなこともありました。

Hさんから、NHKが復職リワークの様子を取材をしたいと言っているから、出てみませんか、というお話でした。

条件は、顔出しで出演することです。

 

私は当初、それで同じ病で苦しむ人の助けになるならと、前向きでした。

しかし、母親が乗り気でなく、病気のために世間に名前を知られてもと思い直し、お断りしました。

私の復帰後、Hさんがいかにも残念そうだったのを覚えています。

 

年末の講演会「小久保裕紀トークライブ」。

そして、年末の12月28日の事です。

やはり福岡のローカル局・KBC 九州朝日放送の主催で、引退後初の講演会、小久保裕紀トークライブが行われることになっていました。

場所は、福岡市民会館大ホールです。

 

しかし、講演会はハガキでの抽選に外れ、もうすぐトークライブが始まるという頃に、私は自習室で携帯を片手に、Twitter(現・X )を始めていました。

 

今も私が、@deracine9 のアカウントで呟いている最初のポストは、これです。

どなたか小久保裕紀さんの講演会のチケット、余っている方はいませんか?

何回も何回も、繰り返しリツイートして、連絡を待ちました。

開演の時刻は確実に迫ってきますが、なんの音沙汰もありません。

 

ほとんど、あきらめかけた頃です。

開演30分ほど前になって、返信がありました。

家族が風邪で行けなくなって、1枚余っています、というツイートでした。

 

天神の自習室から市民会館までは、15分ほど走れば行ける距離でした。

私は、近くのケーキ屋さんで、お礼のチーズケーキを買い、会場へダッシュしました。

走る途中で、またツイートをもらいました。

今入場までの行列の中にいます、と。

 

私は、目印のために、家から持ってきた、ハリーホークのぬいぐるみを手にしていることを返信しました。

息を切らせて会場に着くと、もう長い行列が会場を取り囲むように続いています。

 

入場玄関から100メートルほどのところで、若い女性が手を振っていました。

ハリーホークに、これほど感謝したことはありません。

 

ツイートどおり、そこに居られたのはご家族で、娘さんとお父さん、お母さんの3人でした。

来られなくなったのは、娘さんのお姉さんだったと記憶しています。

 

私のツイートを見た娘さんが、お父さんに、チケットのあまりを欲しがっている人がいる、と言ったら、呼んであげなさい、という話になって、返信をくれたとのことでした。

 

列に加わって、その話を聞き、その後はもっぱらお父さんが話し相手です。

突然、娘の SNS で現れたのが、ぬいぐるみを持った妙な男だったので、お父さんのガードは堅かったです。

無論、私にはお嬢さんを引っかけようなどという気持ちはみじんもなかったので、娘を持つ親御さんとは大変なんだな、と思ったものです。

 

トークライブは、まさに小久保さんの独擅場で、ああ、こんな方だったのか、とあらためてファンであることに感謝する想いでした。

 

サプライズゲストは、巨人の高橋由伸選手で、小久保さんはその気遣いの細やかさや人となりを絶賛していました。

その人を見る眼の確かさを証明するように、3年後、高橋選手は巨人の監督になりました。

 

「一瞬に生きる」出版記念サイン会。

年も明け、2013年2月3日。

福岡市天神のジュンク堂書店で、小久保さん初の著書となる「一瞬に生きる」の出版を記念したサイン会が開かれました。

 

私はといえば、今度は抽選ではなく、早い者勝ちの整理券でしたから、早くからそれをゲットし、ワクワクしてその日を待っていました。

その頃は、ほぼ復職のメドが付いて、本当の勤務先へ出勤訓練を朝から行い、その後はまた当初のリワークメニューをこなす毎日でした。

 

サイン会が始まったのは、3時くらいだったかと思います。

整理券と引き換えに書籍を購入し、そのあと行列を作り順番を待つのです。

真っ直ぐ並んだ一番奥の机に、小久保さんが座ってサインをしています。

 

サインをしてもらう経験は数度ありましたが、これほど緊張し、ドキドキするのは初めてでした。

サインをもらう人によっては、握手して黙って去る人もいますし、気軽に声をかけておしゃべりする人もいます。

次第に距離が縮まってきても、私はこうしようとかいう事は何も考えていません。

 

ついに自分の順番が来ました。

目の前には小久保さんがいて、私の差し出した本にサインしてくれています。

本をもらい、握手をしてもらったあと、私は小久保さんにこう言っていました。

小久保さんの引退試合を観たあと、病気が良くなりました。

ありがとうございました。

そう言われた小久保さんは、一瞬きょとんとして、立っている私の顔を見上げましたが、すぐにあの人なつっこい笑顔を浮かべて、ありがとうございます、と大きな声で返してくださいました。

 

私にしてみれば、クリニックのHさんや主治医の先生を始めとする方々に、いつか、あらためて言うべき言葉でしたが、そのときは、本心から出た言葉だったと思います。

 

もう11年の時が経ちましたが、サイン会で妙なことを言われたと、小久保さんは覚えているのではないかと勝手に思っています。

「一瞬に生きる」を読み終えて。

私は、サイン本「一瞬に生きる」を熟読しました。

もうすぐ、職場復帰しようとするタイミングで読めたことは、大きな力になりました。

 

もともと私は大の読書好きですが、読むのは文学や歴史などの人文学系の書籍ばかりで、自己啓発書の類は、ほとんど読んだことはありませんでした。

 

しかし、その著書を読んで、生き馬の目を抜くようなプロスポーツの世界で、長年トップアスリートとして活躍した人の生き様や、心身の鍛え方、その覚悟の程と言うものが、これほどすごいとは❗️

 

小久保さんからは、そのことを教えられ、思い知らされたと思います。

 

自分を勝手に小久保ファンだと思っていましたが、読んだ後では、自分は小久保さんのことを何も知らなかった、ただのミーハーファンだったと思いました。

しかし、小久保裕紀という男の存在に、何かを感じとり、引き寄せられたのでしょう。

 

先ほども触れた、「人生に起こることは、すべて必要、必然、ベストである」という小久保さんのたどり着いた信念には、本当に救われたと思います。

そのように生きて初めて、私自身が奇跡のような体験をさせてもらったので、実感としてわかるのです。

 

すべての事柄にはタイミングがあり、病気が治らなかった2年間は、まだ機が熟していなかったのだ、と思うことができます。

 

この2年間を経て、私は貴重な数多くの体験をし、数多くの人との出会い、自分の人生を一から考え直す機会に恵まれました。

だから、この2年は、私の人生に必要不可欠な時間だった、と断言できます。

 

それからの私は、小久保さんの読書遍歴から大いに影響を受けることになります。

斎藤ひとりさん、中村天風さん、藤平信一さんなどの本は、その一例です。

新生ホークスに小久保監督あり。

これも、小久保さんの引退の年のトークライブでのことです。

会場からの質問コーナーで、小学校低学年くらいの子が、こう発言したのを覚えています。

小久保さん、ホークスの監督になってください。

これは質問ではなくお願いですね。

そのとき、小久保さんは言われました。

なりたいとは思っていますが、それは縁ですから。

縁、つまり何かの巡り合わせ、タイミングが合致した時、ということでしょう。

 

しかし、そのとき会場に詰めかけた人全員が、その子と同じ願いを抱いていたはずです。

それから11年、ついにその時がやってきたのです。

 

新生ホークスは、とてつもない監督力を持っています。

期待するなという方が、ムリですね。

 

そして、小久保さんの転機が私の人生の転機でもあるという、この不思議な符合は、まだ続いています。

私も、今年から新しい人生を歩むことになったのです。

 

今年は、小久保ホークスを応援に、足繁く通いたいと思う今日この頃です。

新生ホークスに、エールを‼️

 

この言葉を最後に、今日は終わりにします。

おやすみなさい。