MIDNIGHT HERO

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追悼・谷村新司。愉快なチンペイさんが逝く。

栄光への脱出 - アリス武道館ライヴ (Live)

こんばんは。デラシネ(@deracine9)です。

 

チンペイさん、という言葉がネットを飛び交っています。

これが若き日の、谷村新司のニックネームだということを、初めて知った人も多いことでしょう。

 

ということで、今日は谷村新司とアリスの特集。

懐かしネタ満載で、お送りします。

1曲目。

涙の誓い  アリス

涙の誓い

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涙の誓い

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これが、アリスブレイクのキッカケとなった「冬の稲妻」に続くシングル。

このスマッシュヒットによって、アリスの人気は一躍高まった。

アリスが売れない頃の、懐かしい話をしよう。

私が中学生の頃だ。

当時の深夜放送では、オールナイトニッポンとセイ・ヤング、この両ライバルがしのぎを削っていた。

しかし、残念なことに、九州ではセイ・ヤングを放送しているラジオ局はなかったのだ。

(私的にはそうなのだが、もし放送していたことを知っている人がいたら、ぜひ教えていただきたい。)

 

そのため、チンペイさんとバンバンのセイ・ヤングは、聴きたくても聞けない、まぼろしの番組だった。

巷の噂で、めっぽう面白いということは知っていた。

 

だから、ワニ・ブックスから出ていた本を買って読んだりしていた。

(「天才、秀才、バカ」。リスナーのハガキで構成された、チンペイとバンバンの大喜利コーナーをミニ文庫化したもの。)

 

ところが、この連続ヒットで、アリスはNHK・FM でスタジオライブをやることに。

やっとウワサの、チンペイ節が聴ける。

当日、カセットテープの録音スタンバイをして、放送が始まるのを待った。

そして、ライブが始まった。

 

ウワサに違わぬ面白さだった。

武田鉄矢のしゃべりにも劣らない。

これで、みんなアリスにハマったのだと思う。

 

ところが、アリスを全国区にした、そのウワサの録音が、今、YouTubeで聴ける。

これだ。

アリス スタジオライブ 1977

笑えるでしょう❓

おもろいでしょう❓

 

私的には、このライブこそが、アリスだった。

翌年の武道館ライブよりも、何よりこれだったなぁ。

 

やはり、人の原初体験というものは恐ろしい。

この1977年のライブでアリスを初めて聴いて好きになり、2年後の1979年、TVのザ・ベストテンで甲斐バンドを初めて見て、また夢中になった。

 

皆さん、これを聴いたらもう満足でしょうが、もう少しお付き合いを。

2曲目。

帰らざる日々  アリス

帰らざる日々

帰らざる日々

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帰らざる日々 (クラシックCD付)

これは、谷村新司メインボーカル。

 

どういうわけか、ラジオのパーソナリティとしての顔は、めちゃ弾けてバカをやっているのに、音楽家としての作品は、すごくシリアスで重い。

 

これはよくある傾向で、中島みゆきも甲斐よしひろも、その他多くのアーティストがそうだった。

その反面、表裏がなく、見かけどおりなのが、長渕剛や山崎ハコだったな。

夢去りし街角  アリス

夢去りし街角

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夢去りし街角

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東芝EMI の頃。みんな売れない時代があった。

かつて、東芝音楽工業というレコード会社があった。

加藤和彦、北山修、はしだのりひこの3人が結成した、フォーク・クルセダーズは、ここから「帰ってきたヨッパライ」を出したのだ。

 

EMI といえば、日本でビートルズのレコードを販売したレコード会社。

1973年、同社はイギリスのEMI グループの資本参加を受け、東芝EMI と改称。

 

福岡のライブハウス「照和」から東京へ進出したチューリップの財津和夫は、ビートルズ狂であったから、当然のごとく、この会社に所属した。

 

1970年代半ばには、アリスのほかにもチューリップ、甲斐バンド、オフコースと、のちに大ブレイクするバンドがひしめいていた。

 

しかし、アリスも当初は、ホントに売れなかった。

自分たちのオリジナルではシングルを出せず、4枚目の「青春時代」5枚目の「二十歳の頃」は、なかにし礼・作詞、都倉俊一・作曲だ。

 

ようやくヒットした「今はもう誰も」でさえ、佐竹俊郎というミュージシャンのカバーだった。

だから、アリスが一命を繋いでいたのは、将来性を買われていたこともあっただろうが、谷村新司という稀代のラジオパーソナリティの存在だったとも言える。

 

ちなみに、小田和正のいたオフコースも、初期の売れない時代には、メンバー以外の作家から曲の提供を受けている。

 

チューリップは、大ヒットした「心の旅」の次のシングル「夏色のおもいで」の作詞を、姫野達也から松本隆に変更させられるという、苦い経験をした。

しかし、それが契機で筒美京平・松本隆の黄金コンビが生まれたということだ。

 

RCサクセションは、デビューは東芝だったが、さっぱり売れず、ポリドールから出した「シングルマン」が廃盤から再発されて売れ始め、全盛期はキティレコードにいて、その後また東芝に戻ってきた。(紆余曲折あり。)

それでは、最後の曲。

砂の道  谷村新司

砂の道

砂の道

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私が学生の頃、生きる自信がなく悩み抜いていたとき、友人から谷村新司のソロを聴いたら、と勧められた事がある。

 

底が無いくらい、深い人生の闇を歌う谷村新司がいたからだ。

この曲も、そんなときに聴いた曲。

 

人生の後半はとてつも無く偉い先生で、文化人になってしまったが、私の心の中の谷村新司は、チンペイさんのままだ。

 

チンペイさん、さようなら。

そして、苦しかった青春時代を支えてくれた、谷村新司さんのご冥福を心からお祈りします。

海猫