二十歳の頃。
私は、市井の凡人にすぎない。
だから、こんな私事など、だれも関心はないだろう。
だが、思春期の少年は、はたと気づけば老年を迎えている。
そんな一例だと思っていただけばよいと思い、書くことにした。
個の物語は、普遍に通じるものだ。
今後、私には、多くの時間が与えられる。よって、こんな書きものが増えてくるだろう。
いつものごとく、ブログ版 DJ だから、内容にちなんだ曲は添える。
それは、新聞小説の挿画みたいなものだと、思ってもらえばよい。
いつのまにか少女は 井上陽水
その頃、私は怠惰な学生だった。
十九のとき、福岡から都会の街にやってきて、初めて一人暮らしを始めた。
高校時代は、いじめにあい、引きこもり気味の登校拒否児で、人づきあいなどしたことがなかった。
だから、忌わしい故郷を離れ、せいせいすると思っていたが、違った。
学生生活を送るために、最低限、必要な人としての知識や習慣、礼儀すら欠けていた。
一人、世の中に歩み出てみれば、そんな自分に呆然としたのだった。
そのとき、今の自分に大切なのは、学問より人間関係だ、と思った。
そして、人との交わりがふつうにできるようになりたいと思い、なにかと無理をした。
私は、心を病んで、思春期病棟に入り、しばらくの間、生活することになった。
Eleanor Rigby The Beatles
病院を出てからも、それほど急激に人が変われるはずもない。
その頃の私は、ほんとうに世間知らずだった。
人間というものを、知らなかった。
他人との交際が長続きしたことがなく、友人になっても、必ずと言っていいほど、つきあいを自分から放棄してしまうのである。
落ち込んでは、一人、下宿の布団にくるまり、引きこもっていた。
人として、世の中を渡ってゆく知恵も才覚もなく、暗闇に堕ちてゆくだけの蒼さがあった。
朝夕を送るのも苦しく、孤独に苛まれ、太宰治や坂口安吾を読むことだけが救いだった。
一人がつらくなると、ひたすら街を歩いた。
人混みに紛れ、精神の疲弊を肉体に置き換えることで、かろうじて息をしていた。
学舎へ足を運ぶことは、苦痛でしかなかった。
学校嫌いの私が、なぜ懲りずに進学したかと言えば、私をいじめた連中を見返すためであった。
私は、学問をしたくて進学したのではなかった。
その事実に、進学したあと気づき、またも唖然とした。
新たな学舎で、私は、再び落ちこぼれた。
周りは皆、初めから優等生で、この学校に入ってきたエリートに見えた。
親からの仕送りを受け取るのも、また苦しいことに思えた。
私は、いまだに自分の若い頃を憎む。
自意識ばかり過剰で、性欲ばかり強く、妬み嫉みばかりで、希望の大きさ故に絶望がある。
まったく、私の青春とは、ろくなものではなかった。
のちに、太宰治に師事した小山清が、何かに同じような感想を書いているのを読み、私は激しく共鳴したものだ。
Message in a Bottle The Police
ここまで読んで、少しも具体性が無い、と思う人がいるかもしれない。
太宰治は、小説を書くことは、日本橋の真ん中で仰向けに寝る事と同じだ、と言った。
あらゆる芸能に通じることかもしれないが、自分の羞恥心を捨てなければ、文筆の業は成し得ない。
しかし、時代は難しくなって、私事のつもりが、他人に思わぬ迷惑をかけないとも言えなくなっている。
それは、私が無名の市井人であれば、よいというものでもない。
恋愛譚となれば、それはいや増す。
この苦しい時期、私は何人かの女性に恋したと思っていた。
しかし、私は激情から醒めると、すぐに恋愛ではなかったと気づいた。
ありていに言えば、私は学業や親の要求から逃げるために、女性にすがっていたのだ。
幸いに、私は女性たちに相手にされなかった。
そんな類の情熱が、報われていいはずがない。
そう思っていた。
その後も、申し訳ない気持ちばかりが募った。
なにか振られたことへの負け惜しみのようだが、これは私が泥にまみれながら、実感したことだ。
だが、この時期の恋愛なんていうものは、そんなものかもしれない、とも思うのだ。
異性を愛するなどという理念も感覚も無く、ただ本能的に相手を求める時期なのかもしれない。
多くの人は、そうやって、結びつきを悔やみながら、生きてゆくのではないだろうか?
そして、お互い頼り頼られることを、無意識にやっていたりするものなのではなかろうか?
そんなことを、今、思っている。
LADY 甲斐バンド
本編は、これで終わりである。
読む人が読めば、私がなぜ、こんなものを書く気になったかは、おわかりだろう。
山田太一さんのエッセイに「三か月だけの日記から」というものがある。
(『路上のボールペン』収録。)
その冒頭に「二十歳のころ」という課題で、と副題が付いている。
つまり、その課題をそのままに、自分の事として書いたまでなのだ。
山田太一さん気取りで。
そういう訳で、今年は終わりです。
最後は、今年、私が一番聴いた曲。
来年が、皆さんにとって、よい年になりますように。
おやすみなさい。
さよならの今日に あいみょん