こんばんは。デラシネ(@deracine9)です。
本日は、脚本家・山田太一の世界、ドラマ「想い出づくり。」です。
なぜこのドラマを最初に選んだのかと言えば、本当によくできたドラマであるということ、その一点に尽きます。
脚本はもちろんのこと、キャストも、演出も、音楽も、すべてが素晴らしい。
今の若い女性にしてみれば、こんな、女をバカにしたドラマってある? と思う方も少なくないでしょう。
しかし、かつてはこういう時代だったのであり、現実の結婚制度というものは、世代に関わらず、今もなお、多くの人たちを縛っています。
この作品は、決して他人事とは思えない、自分たちの周囲にいる等身大の女性像に、しみじみと共感できる、そんなドラマなのです。
また、現在、この作品はU-NEXT で配信しており、未加入の人はすぐに無料トライアルで観ることができます。
この記事を読まれたら、すぐにでも観たくなるような記事にしたいと思います。
それでは、ドラマのテーマ曲。
この曲聴いたことある、懐かしい、と当時を振り返り、余韻に浸る方も多いことでしょう。
演奏はフルート奏者のザンフィル。
作曲は、小室等です。
想い出づくり ザンフィル
結婚ファシズムへ抵抗することの難しさ。
このドラマのON AIRは、1981年。
適齢期という言葉も現在では死語に近いですが、当時の時代背景は、とにかく男社会。
女性管理職など、ほぼ皆無と言っていい時代です。
20歳を過ぎて数年経つと、女性は周囲から、結婚、結婚と有形無形の圧力に押しまくられる。
今だったら、セクハラ、パワハラ、なんと言われることか。
それが家庭でも職場でも、大手を振ってまかり通っていた時代。
この結婚ファシズムとでもいうものに、若い女性が対抗するには大変な意志を要したのです。
まず女性自身が、女の幸せは結婚とか大真面目に言い、褒め称えられていたのですから。
もちろん、結婚したくてすること自体に、問題があるわけではない。
とにかく猫も杓子も同じ行動をすることに、少しくらい異議を唱えてもいいのではないか、と今だったら思いますが、当時はそうはいかなかったのです。
日本社会は、そういう一般常識をはみ出した考え方をとかく排除したがるのです。
いろんな世界標準の影響で、言葉には出しにくくなっていますが、現在も、さほど変わったとは言えないと思います。
その反動のせいか、途方も無い差別主義者や、ファナティックな愛国主義者が、ハッキリとした物言いで、多くの支持を集めているのも、今の時代のいびつさかなと感じます。
女性たちは、せめてもの抵抗ということを意識してか否か、時代をくだるごとに、結婚しなくなってきました。
仕事をして、結婚して、子供を作って、ゆとりある生活を築く。
もはや、そんな理想の暮らしができるとは、とても考えられない、夢を描けない現実が社会を覆ってしまったのです。
それでも、まだまだ地方では、結婚至上主義の考え方は、ほとんど変わっていないようにも思えます。
仕事をする女性は増えたけれど、私は結婚しない、と言ったりすると、職場ではセクハラになるからあまり言われないけれど、家族や親戚たちは「変わったおなごだ」という言い方でしか、とらえようとしない。
変わったようでいて、実際はそう変わっているわけではないという気がします。
このドラマは、そんな女性たちの、愛情と結婚をめぐる物語なのです。
ドラマの参考文献として、テロップにクレジットされていた「ゆれる24歳」。
男社会に生きる女性たち、三者三様の青春群像劇。
それでは、ドラマの登場人物を中心に、物語のさわりの部分をご紹介します。
物語は、仕事を持つ20代前半の女性たち、3人の出会いから始まります。
演じたのは、古手川祐子、田中裕子、森昌子。
(山田太一さんは、基本あてがきなので、イメージがわきやすいよう、以降キャスト名で登場人物を呼ぶことにします。)
〔あてがきとは、脚本家がキャスティングされた役者をイメージして脚本を書くこと。〕
「映画なんか観る? 海外旅行に興味ない?」
3人は、街行く女性に声を掛けるキャッチャーの誘いに乗って、旅行会社の説明会に揃って出席します。
香織役の田中裕子と典夫役の柴田恭兵。
その女性キャッチャーが柴田恭兵。
柴田恭兵は、チンピラふうで、ワルだけど、どこか憎めない、二枚目。
序盤では、3人の目の仇にされて散々な目にもあい、何度も彼女たちのアパートから叩き出されては、目を白黒させて昏倒するような、笑えるシーンも。
この説明会で募集する、格安の会員制海外旅行クラブは、結局のところ入会金詐欺なのですが、勧誘員の柴田恭兵は、入会金を返せと迫る3人のひとり、古手川祐子に一目惚れしてしまいます。
久美子役・古手川祐子。
古手川祐子は、静岡の実家を飛び出し、東京に出てきて一人暮らしをしている女性です。
職場は、小田急ロマンスカーの中。
「走る喫茶室」勤務の接客乗務員で、乗客におしぼりや飲み物、お弁当を配ったりする毎日。
一方、柴田恭兵は、女性を引っ掛けるような仕事しかしていない、グウタラで不良じみた男。
古手川祐子が下宿しているアパートや職場の周りをしつこくうろつき、トリッキーな行動や芝居がかった告白で、彼女の心を揺さぶってゆくのです。
ここら辺の感想を、九州のおふくろたちに言わせれば、「しょうもなか男に引っかかってくさ、どんこんしょんなかねえ」、となるのですが(笑)。
田中裕子は、やはり実家のある福島から東京に出てきて、一人暮らしをしているOL 。
商事会社に勤めて、お茶くみやコピー、書類の整理など、男性の補助的な作業を強いられ、仕事にも恋愛にも生きがいを見出せない、ため息ばかりの日常の中にいます。
そこで、上司である課長から見合い相手を紹介してもらったりするのですが、無難そうな相手にいまひとつ、燃え上がれない気持ちが勝ってしまう。
そこで、ひょんな落とし穴にハマることに。
のぶ代役の森昌子。
森昌子は、唯一東京生まれの下町育ち。
学歴の無い父親は小さな工場の職人で、父母と弟の4人暮らし。
女性作業員ばかりの工場に勤める、地味な女性です。
森昌子とは、意外なキャスティングですが、これが見事にハマります。
そこで、父親の勤める工場の社長の甥と見合いをすることに。
盛岡から見合いに来て、ガソリンスタンドとドライブインの経営者というふれ込みで、とにかく押しの強い、ガサツな男。
これを演じるのが、加藤健一です。
この役ほど、カトケンの個性を引き出したハマり役はない。
たとえば、喫茶店に入ると、待ち合わせしている森昌子の目の前で、両手でパーンと音をさせておしぼりの袋を破り、思い切り顔中をくまなく拭います。
これが一事が万事で、とにかくダサい、東北弁丸出しの中年男です。
右から森昌子、加藤健一。
しかし、加藤健一はお見合いを断られても、森昌子を決してあきらめないのです。
土産物を持参したり、父親の工場の社長を頼ったり。
ガンとして、あきらめません。
しまいには、2階にいるのぶ代の部屋まで押しかけて「交渉」に当たります。
この厚かましさには、ほとほと手を焼くしかないありさまです。
こうして、三者三様のアンチ結婚ドラマが進んでいきます。
3人は、互いに近況を報告し合い、力を合わせて、困難に立ち向かってゆくのです。
常識をはみ出したものの魅力。
序盤を観ながら思うのは、柴田恭兵の、古手川祐子への愛情表現についてです。
これは今だったら、完全にストーカーで、誰しもアウトと思うでしょう。
しかし、今の時代はストーカーという概念ががあるから、そう見えてしまうところがある。
それゆえ、柴田恭兵の魅力を、古手川祐子のように発見することは、とても難しくなってきていると思います。
恋愛において、好きになった相手を求めずにはいられない、そんな激情を抱くのは、ごくふつうのことでしょう。
そういう激情のせいで、相手へのしつこいくらいの求愛行動に出る人間は、今だっていないはずがない。
もちろん、ほんとうの愛情なのかを見極める目は必要です。
しかし、今の時代、求愛される側はちょっとしつこくされると、これはストーカーだと思って過度に警戒したり、求愛する側は恋焦がれているのに、ストーカーという言葉が浮かび、これ以上しつこくできないな、とか思ってしまうのではないでしょうか?
現代は、あふれかえる情報のために、刷り込まれた概念が多過ぎて、人物やものごとを、もっと柔軟に、しなやかに捉えることが難しくなってきているのではないでしょうか?
柴田恭兵のような人物を描くことで、こんな愛情表現しかできない男もいていい、という山田太一さんのドラマ的意図があることは、確かでしょう。
このことは、森昌子の見合い相手、加藤健一にも言えます。
ちょっと、とんでもなく非常識な人なんだけれども、あまりに型破り過ぎて、その魅力に気づきにくい。
だけど、常識からはみ出していると、どこか惹きつけられる。
そんな人間の魅力を、山田太一さんは描きたかったのだと思います。
山田太一脚本の中でも、屈指のエンタメ性を発揮したドラマ。
山田太一さんのドラマは、ミステリーではありません。
平凡な人々の暮らしをていねいに描きながら、エピソードを重ねていく。
けれど、ありふれた生活を揺さぶる人物や出来事によって、玉突きのように、登場人物たちの様相が変化してゆきます。
平凡な日常が、いつのまにか姿を変えてゆく様は、劇的でスリリング。
これが脚本の力なのだと、痛感させられるのです。
まず、2話まで観たら、もうこの続きを観ずにはいられなくなるでしょう。
そこで、面白さの要素をいくつか挙げていきます。
どうしても、多少のネタバレは含んでしまいますので、純粋に先入観無くドラマを観たい方は、ドラマ全編を先にご覧になってください。
その方が、面白くこの記事が読めるかもしれません。
観てしまってのちに、この続きを読んで頂けたら、嬉しい限りです。
①造形されたキャラクターの見事さ。
主役の3人、古手川祐子、田中裕子、森昌子、それに柴田恭兵は、先ほども紹介しました。
役どころは、ピッタリ、それぞれの持ち味が活かされています。
古手川祐子は、気が強い反面、ちょっと甘えん坊なところがある、夢想家。
柴田恭兵とのことで気がめいってしまうと、静岡の実家の両親に甘えたくて、帰省してしまうようなところがある。
田中裕子は、夢想家だけれど、物事が見え過ぎて困惑しているようなリアリストの面も。
彼女が課長から引き合わされた矢島健一に、見合いという風習の没論理性を愚痴るところなどは、とても説得力があります。
森昌子は、いかにも下町育ちで、工場で働いていそうな地味な女性。
3人の中では、一番奥手で男性と付き合ったことも無さげな、純情で素直な性格です。
勉強のできない高校生の弟を、親身になって心配しており、そんな優しさもある下町の人情家なのです。
加藤健一は、さきほども言ったように、森昌子に強く結婚を迫る役どころが見事です。
観ていて演技者としての迫力がすごい。
こんなに存在感のある役者がいるのかと、感嘆せずにはいられない。
画面に登場するたびに、可笑しくて笑えて、とにかく面白いです。
役者としての彼は、当時から加藤健一事務所を立ち上げ、現在に至るまで、下北沢の本多劇場で、定期的に芝居を打ち、主役を演じています。
私が小演劇の世界に惹かれ、下北沢に通うようになったのは、加藤健一の芝居を観たかったからでした。
右から、古手川祐子、田中美佐子。
そして、彼らの周りにいる人々の造形も素晴らしい。
柴田恭兵には、元カノが付きまとっています。
これを演じているのが、当時はまだ無名だった田中美佐子です。
クレジットには、田中美佐、の名前で出てきます。
田中美佐子は、柴田恭兵の周りを影のようにうろつき、古手川祐子の強力なライバルとして、立ち現れます。
古手川祐子とは逆のタイプで、気は強いところは同じでも、優男(やさおとこ)の柴田恭兵を甘やかし、体の魅力で引き留めようとします。
典夫役・柴田恭兵、古手川祐子の父親、吉川武志役・児玉清。
古手川祐子の父親を演じるのは、児玉清です。
娘の事を心の底から心配し、娘にも男にも振り回されながら、二人の理性に訴えかけて説得するその姿には、本当に心を打たれます。
みなさん、児玉清といえば、華丸のモノマネをイメージする方が多いと思います。
しかし、実は、というのも変ですが、数々のドラマに出演して、素晴らしい演技を見せてくれた、すごい俳優さんです。
山田太一作品では「想い出づくり」より少し前の「沿線地図」でも銀行員の父親役で、やはり見事な存在感でした。
池谷信吾役・佐藤慶。
田中裕子の実家の両親は、佐藤慶と佐々木すみ江です。
佐藤慶は、これも「想い出づくり。」と前後して書かれたNHKのドラマ「夕暮れて」でも佐藤浩市の父親役が素晴らしかった。
福島の市役所勤めで、お堅い役人肌。
娘の東京での生活を心配して、娘のアパートにひょっこり現れ、思い上がりも23までだ、などと福島訛りで結婚を迫るのです。
その地方の役所勤めの中年男という佇まいが、うまくはまっていて、これまた面白いのです。
佐藤慶の役の見せどころは、それだけではありません。
毎日を仕事に明け暮れているうちに、若さというものから、いつの間にか遠ざかっている中年男の、若さへの憧憬や羨望、これからはただ歳を取っていくだけだという焦燥と諦念を表現しているのです。
平成となって、数年経った頃。
NHK BS の草創期に、「山田太一の世界」という番組が、1ヶ月ほどのあいだにわたり、放送されたことがあります。
その中で、司会が八千草薫さんで、山田太一さんご本人が登場されて、TBS の大山勝美さんなどと対談をされる番組がありました。
番組では、ドラマの出演者がVTR で登場して、いろいろなコメントをするのですが、佐藤慶は、「想い出づくり。」の役でもらったセリフを、その場で読み上げていました。
信吾「年とって行くとな、若えってことが、まぶしいような気がするもんだ。身に沁みて若さが縁遠いような気がするもんだ。会合ったって、四十五十ばっかで、急に気ィつくと、若ェってことは、ずーっと遠くに行ってしもうとる。」
(大和書房「山田太一作品集12 想い出づくり。」より引用。)
佐藤慶は、先ほどあげた「夕暮れて」でも、そういう役どころでしたから、とりわけ思い入れが強かったのだろうと思います。
佐々木すみ江は、この後「ふぞろいの林檎たち」で、中井貴一の母親役で出てきます。
夫よりも歳上で、教師上がりの嫁という立ち位置で、これまた娘の結婚について、やかましく干渉します。
ここらの演技には定評のあるところで、また大いに笑わせてくれます。
そして、森昌子の家族。
父親は前田武彦、母親は坂本スミ子。弟は、安藤一人。
左手にいるのが、前田武彦の勤める工場の社長夫妻、三崎千恵子と高桐真です。
この家の茶の間での会話も、また面白い。
どうぞ、ドラマで堪能してください。
②一度聞いたら、忘れられないセリフの数々。
山田太一さんは、役者に対して、セリフを一言一句変えないように、と言っていたことで有名です。
それが役者でも演出家でもない、山田太一さんの、脚本家としての矜持だったのだと思います。
それにしても、人間の心の機微を捉えるセリフの豊かさには、驚かされるばかりです。
どうして、こんなにいろんな人の心がわかるんだろう、と思ってしまいます。
ここでは、①でお話した登場人物たちの、恋愛と結婚をめぐる台詞の数々を、ご紹介します。
(引用元は、大和書房「山田太一作品集12 想い出づくり。」です。ト書の一部は省略させて頂きました。)
典夫「他になんにもねえのか、手前ら、結婚までに、他になんにもねえのか?」
香織「なんにもなかないわよ」
典夫「なにがあるんだ? なにがあるんだ?」
テレビの画面
桂文珍「女の人っちゅうんは、クリスマスケーキと同じでんな。二十五過ぎたら急に売れんようになる」
のぶ代「だから来ないでください。もう、あの、お見合いのことは、正式にお断りしたんだし、来るの、変だと思いますから」
二郎「いえ、諦めません」
のぶ代「だって、それじゃ」
二郎「あきらめないこと。その一点で、私は自分の人生を切りひらいて来たんでございますから」
信吾「二十三の女に、他になんがある?」
香織「なんだってあるわよ。仕事で、どういう苦労してるか、とか」
信吾「そんな事はいっときのことだ。問題は、なんだかんだ言うたって、結婚だ。どんな男と結婚するかで、女の後半生は決まっちまうだぞ。それがこの一、二年で、決まるだ。七十、八十まで生きるとすりゃあ、これからの五十年以上が、この一、二年のお前の選択にかかっとるだ」
のぶ代「お母さん、あの人と本気で結婚しろって言うの?」
静子「しろとは言わないよ。しろとは言わないけどね」
のぶ代「私、本気でやだっていってるのよ」
静子「お化けやフランケンシュタインじゃないんだよ、あの人は」
典夫の部屋の外
妙子「そりゃあ、あいつをひっかけりゃあ、あとあと金になるだろうけどね、そこまでやることはないって、みんな笑ってるよ」
典夫「ー」
妙子「私だって、笑っちゃうね、ハハハハ。カテリーナのマスターの奴、評価するね、だと。ハハ、冗談でしょ。女にいいとこ見せるなら、もうちっと」
典夫「ー」
妙子「気の利いたことして貰いたいよう」
典夫「ー」
妙子「働きゃあ女が惚れんならね、全国の飯場のお父さんは、女にもてもてのはずじゃないの。ふざけんじゃないよ」
妙子役の田中美佐子。テレビ初出演だった。
由起子「だって、お父さんはねえ」
香織「聞いたわよ」
由起子「若い女のお尻追っかけ回して、市役所休んで、行方不明になったりしたのによ」
香織「行方不明は(オーバーよ)」
由起子「全然非難されないどころか、お堅い池谷さんも人の子だったなんて、株上がったりしてるのよ」
香織「(苦笑)」
由起子「それならまだしも、裏切られた私の方は、どうよ? 気の毒だなんていってくれる人はいなくて、あの先生上がりの怖いような奥さんじゃ、浮気もしたくなるだろうってまるで浮気は私のせいみたいなんだから」
香織「わかった」
由起子「お金くらい使わなきゃ、おさまりゃしないわよ」
由起子役の佐々木すみ江。
久美子の声「男の人は、努力をしたりすると、それで自分の人生がひらけてくるけど、女は余程の力がない限り、努力をしたり、仕事を一生懸命しても、たいていは結婚する相手次第で後半の人生が決まってしまう。私は、なんとかそんな風じゃなく生きて行こうと思うけれど、特別なにか才能があるというわけじゃないしー」
マスター「お宅、本当に本気なの?」
典夫「なによ、それ」
マスター「遊びなら、彼女可哀想だよ。親御さんも、随分苦労してる」
典夫「本気だよ」
マスター「だったら、何故仕事探さねえんだよ? なにふらふらしてんだよ? ちゃんとしろよ」
典夫「ちゃんとってなんだよ?」
香織「心から好きになれる人っていうのが、どうして理想が高いの?」
由起子「あんたの基準が高いじゃない。岡崎っていう人、とってもいいそうじゃない」
香織「お父さんが、よくったって」
由起子「ほどほどによけりゃあ、決心した方がいいの。そんな、白い馬に乗った王子さまが現れるわけないんだから、そういう人と一緒になって、そのうち、かけがえのない人だなって、そういう風に思ってくるもんなの」
香織「ー」
由起子「帰る気ないなら、その人と一緒になんなさい。なんなさい! 贅沢いってないで!」
香織「逢ってもいないのに、よくそんなこといえるわねえ(とクッションを母にいくつも投げつける)」
のぶ代「私はいやなの。私はそんな人と一緒になりたくなかったの。何度もそういったわ。でも、みんなで、人生こんなもんだとか、義理が悪いとか、男なんてみんな同じとか、お金があればなによりとか、よってたかって、おどしたり、すかしたりして、ここまで持って来たんじゃない。私、仕様がないかなあ、と思ったけど、やっぱり嫌だって分かったの。嫌なの。私は心から、対等に私を愛してくれる人と結婚したいの」
信吾「ええか。尻馬に乗って、付け上るんじゃねえ。」
香織「私がなによ」
信吾「八件もの見合いの話を、にべもなく断って、それじゃこっちに恋人がいるかっていやあいねえ、という。それじゃあ人生なめてるとしか言いようがねえ」
典夫「ー久美子さんは」
武志「気に入らないんですよね」
武志「うむ」
典夫「金だけじゃなくて、少しは働いてて楽しい仕事を、あっちこっち探してやって行きたいんだけど、そういうのは、やだっていうんですよね」
武志「うむ」
典夫「一つの仕事をずっとやれっていう。一日机に向かってるとか機械をいじってるとか。しかし、特別金になる訳じゃなし、なんでそんなのがいいのか分かんないのよね」
武志「そりゃあ長い目で見てるからだろう。当座入る金は少なくても、定職についていれば、昇給もあるし、保証もある。目先の面白さで転々としてたら、そりゃ今はいいかもしれないが、少し年を取ったら、仕事はなくなるだろう」
典夫「だから、なくなったら地道にやるしかないでしょう。それまで自由にやりたいっていうのが、どうしていけないんだか」
武志「不安なんだよ。女はそれでは不安なんだ」
典夫「ー」
武志「いま職を転々としている人間が、三十になったら地道になるという保証はない。女は、結婚の相手に安定が欲しいんだ」
典夫「ー」
武志「ほんとに、あの娘が好きなら、定職についてくれよ」
典夫「ー」
武志「そして、結婚してくれ」
典夫「ー」
武志「たしかに、それは君を縛ることになる。定職も君を縛るし、結婚も君を縛る。そうやって、自由を縛られるのが嫌なら…別れてくれ」
典夫「ー」
武志「これでも親なんでね、同棲を我慢しているのも限度がある。もういいだろう。もうどっちにするか決めてもいいだろう」
典夫「ー」
武志「こんな(感情溢れ)話の分る親はめったにないぞ。少しは、こっちの身にもなれよ」
典夫「(間あって、うなずく)」
この場面、父親の心情あふれる児玉清の熱演は、本当に感動ものでした。
ここが、私の一番お気に入りのシーンかな、と思います。
ドラマには、まだまだ、こんなセリフはあって、シナリオにはない楽しい演出も、いろいろ盛りだくさん。
これ以上、続けると、全編観てくださいという感じになりますので、ここらでやめときます。
雑踏の中の言葉。
ドラマの最後。
渋谷の雑踏に紛れて、3人が別れ別れになるシーンがあります。
このシーンまでたどり着いた皆さんは、ここで流れる古手川祐子のモノローグと、まったく同じ気持ちになるはず。
想い万感、という素晴らしいラストです。
山田太一さんは、街の中で、ふと聴こえた声が、とても魅力的だと書いていらっしゃいます。
ドラマを書く楽しみの六十パーセントぐらいは、それに類する台詞がいきいきしてくる場を作ることにある、と。
どこにでもいる女性たちの、街や職場で聴こえる言葉が、これほど素晴らしく、美しい結晶となったドラマは、そうそうないはず。
皆さんも、もう一度、その声を聴いてみてはいかがでしょうか?
本日は、これで終わりです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
最後の曲。
サビが、あー、って感じですが。
〇〇ちゃん あいみょん
*本記事に掲載した写真の一部は、ドラマのPR 動画から引用したものです。