宮藤官九郎脚本、長瀬智也主演のドラマ「池袋ウエストゲートパーク」を観た。
そのタイアップ曲が、ひどく気に入った。
忘却の空 SADS
こんなイカした曲はない。
清春のヴォーカルも最高だ。
「池袋ウエストゲートパーク」は石田衣良・原作、クドカン初の連ドラ。
遅れてきたクドカンファンとしては、驚愕のエンターテインメントだった。
ドラマとこの主題歌が、見事にマッチしている。
オンエアは2000年、つまり20世紀最後の年。
どこのどなたかの預言によれば、次の年に世界は滅ぶ、この世は無くなるってわけで、世の中は、明日なき無常観が、はびこっていた。
ドラマは、そんな退嬰的で刹那的な、不良少年少女たちの空気感をよく捉えている。
だが、その頃は、爆発的なエネルギーの捨て場所が、まだあった時代だった。
ガングロもコギャルも、真っ黒に顔を塗りたくり、ルーズソックスに茶髪の頭をしていても、彼女たちの自由を侵す者はいなかった。
だが、今はどうだろう。
いつ私たちの自由は、かき消されてしまうかもしれない。
いつ香港のような事態が、この国に起きないとも限らない。
これが杞憂であることを願うが、現実は恐ろしく隠れた振りをして悪くなりつつある。
徴兵制が敷かれたりしたら、君たちの自由は無いに等しい。
ここに、第1話の簡単なあらすじを。
無職のプー太郎を自称する果物屋のひとり息子・真島誠(長瀬智也)。
いつも池袋の西口公園で、ダチ(佐藤隆太)とだべってトグロを巻いているが、偶然出会った専門学校生のシュン(山下智久)、ヒカル(加藤あい)とリカ(酒井若菜)、高校の同級生だった不良グループ・G・ボーイズのボス、キングことタカシ(窪塚洋介)との出会いをキッカケに、いつの間にか事件に巻き込まれ、トラブルシューターを買って出るハメになる、気の良いあんちゃんである。
誠の生活は、西口公園の雑踏での長い空白の時間とボーリング場でのカツアゲによる小遣い稼ぎと、未亡人の母親(森下愛子)がやっている小さな果物屋の店番で成り立っている。
果物屋は西池袋の裏街にあり、間口の狭い店には数段の陳列棚しかない。
いかにも酔っぱらい相手の、小口の高値売り商売のいかがわしさが、池袋の繁華街と共存している。
店にやってくるのは、酔客のほか、果物屋の前にあるファッションヘルスで働く風俗嬢やら、誠が不良高校生時代に世話になった池袋署の刑事やら、ねずみ講をやってる母親のお得意様やら、めんどくせぇ連中ばかりだ。
そんなとき、誠がつきあい始めたばかりの少女・リカが殺された。
誠は殺人の容疑をかけられ、警察へ連行される…。
「池袋ウエストゲートパーク」。その魅力。
ここで、このドラマの魅力の数々を語ってみよう。
このドラマには、その後大ブレイクする役者が大挙して出ている。
窪塚洋介、妻夫木聡、山下智久、佐藤隆太、加藤あい、酒井若菜、そして劇団大人計画のメンツはもちろん、阿部サダヲ、村杉蝉之介、荒川良々などなど。
脚本家・宮藤官九郎の知名度が上がるにつれ、クドカン作品の常連となっていく役者たちの輝きも増していくという相乗効果。
そんな役者たちを観るだけでも価値があるというもの。
原作には無い、クドカン流の脚色が冴えわたる。
これは、挙げればキリがない。
まず主人公の誠(長瀬智也)の口ぐせ。
「あぁ、めんどくせぇ」。
これだけで、このドラマの決めゼリフになっていて、ともかく笑える。
そして誠の、大の焼きそば好き。
どの店に入っても、どんな状況下でも、焼きそばを忘れない、誠のキャラが笑える。
さらに、大のボーリング好き。
これも原作には無い、クドカン流のアレンジ。
ボーリング場のシーンがしばしば出てきて、話を転がす。
そして、母親役の森下愛子。
誠の焼きそば好きは、母親がいつも焼きそばを食べさせることに由来しているらしい。
未亡人で大の男好き、ねずみ講にハマっているという設定。
これが後半のオリジナルストーリーに繋がる。
これが、むしろ石田衣良原作のある回より面白い。
クドカンは、オリジナルと原作の脚色の双方ともに、自己流のいわゆるクドカンワールドに引きこむ力を兼ね備えた、天賦の才に恵まれた脚本家であると言えるだろう。
脚色の妙は、セリフのすり替えにも発揮される。
誠は、中学時代の同級生が引きこもりになっていることを知り、事件に駆けずり回っているさなかにも、毎朝、引きこもりの和範の部屋を訪れ、無言のドアに語りかける。
いいヤツなのである。
一週間通い続けた末、和範は心を開いて誠を部屋の中に導く。
そして、偶然にも和範の部屋で、事件解決の糸口を見出だす。
誠が部屋を出て行くときの、和範と誠のやり取り。
原作ではこうなっている。
和範「今度、誠のうちに遊びに行ってもいいかな」
誠 「待ってる。絶対来いよ」
それをクドカンはこう置き換える。
和範「マコト」
誠 「ん?」
和範「また…遊びに来てよ」
誠 「バカ、今度はオマエがおれんちに遊びに来るんだよ」
これ、最高の投げと返しだろう?
和範は事件のカギをつかんだ誠が、もうかまってくれないんじゃないか、という不安に駆られてる。
だから、おずおずと再会の約束を切り出す。
まだ誠のうちにまで出かけるってほどの、勇気はない。
せめて、また部屋に来てほしい。
それを察して誠は、今度はうちに遊びに来いと、深まった絆のあかしを垣間見せる。
和範の孤独が、一瞬に解き放たれる様子が、ありありと見えるようだ。
クドカン脚本の、このドラマにおける最大の功績は、これらの脚色によって、出演者の役者としての存在感なり潜在能力を、120%引き出すことに成功している事だろう。
これはすべての出演者に当てはまることだが、なんと言っても主役格の2人、長瀬智也と窪塚洋介については、その後の役者としてのキャリア、方向性を決定的なものとした、と言えるくらいの当たり役だったと私は思う。
ドラマは最終局面への伏線もまた秀逸で、このオチを観るのも大きな楽しみだ。
ただ、今からこのドラマを観る人は、原作を先に読まないように。
石田衣良の原作は短編なので、オチがすぐネタバレしてしまうからご注意を。
- 作者:宮藤 官九郎
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- 作者:石田 衣良
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「池袋ウエストゲートパーク」サウンドトラックより
「I.W.G.P」に影響を与えた、おすすめ・20世紀末のドラマと映画。
20世紀末の世相は、以前このブログにも書いたが、刹那主義、今だけ楽しけりゃいいじゃん、みたいな若者の空気感。
サイコ、オタク、ストーキング、多重性人格、それに絡む暴力や犯罪の急激な増加。
アメリカで起こった現象は、10年遅れて日本にも来ると言われていた時代だった。
猟奇殺人を描いたサイコ・ホラー、ジョディ・フォスター、アンソニー・ホプキンス主演の映画「羊たちの沈黙」の公開が、1991年。
モーガン・フリーマン、ブラッド・ピット主演の映画「セブン」が1995年。
日本での神戸連続児童殺傷事件が1997年。
映画もドラマも演劇も、こんなサイコな犯罪の影がつきまとっていた。
「池袋ウエストゲートパーク」もまた、このような世相を映し出した作品だった。
窪塚洋介の主演映画「GO 」。
窪塚洋介は、このドラマの翌年、映画「GO 」に主演。
脚本は宮藤官九郎で、二人はこの年、数々の映画賞の優秀主演男優賞、優秀脚本賞を総なめにした。
この映画でのクドカンは、初の映画脚本への大抜擢ということもあって、クドカン色を消している。
監督スタッフの意向に沿った、技術提供者に徹している。
その結果、作品は正統派の文芸映画として大成功を収めたのだろう。
だから、クドカンらしい小ネタもツッコミもボケも無いに等しいが、映画としては、直木賞を受賞した金城一紀原作に寄り添った映像化作品になった。
宮藤官九郎と長瀬智也。最強タッグの誕生。
このドラマをきっかけに、もう一人の主役・長瀬智也と脚本家・宮藤官九郎は、「タイガー&ドラゴン」「うぬぼれ刑事」と、傑作ドラマの屋台骨をなしてゆく。
これらの作品については、また後日、このブログで取り上げたい。
それでは、最後に、黒夢の曲を。