こんばんは。デラシネ(@deracine9)です。
本日は、「コロナ疲れの日々に癒しの歌を」と題してお送りします。
だが、仕事は無い、客足は戻って来ない、という現実。
収入が激減したまま、廃業、解雇の不安に怯える日々。
コロナ第2波も懸念されているが、わずか10万円の給付金は申請書も届かず、アベノマスクにいたっては、得体の知れない業者に発注され、政府による予算執行額のピンパネが行われているとしか思えない、酷いありさま。
下の新聞記事を読んでもらいたい。
契約額と売上額の差額はどこへいったのか?
43億円のカネは、誰のふところに入るのだろう?
悪い奴ほどよく眠る。
俗世に巻き込まれながら、一般庶民だけが、わりに合わない生活苦を強いられる。
本日は、こんな世の中に、癒しを与えてくれる曲を、紹介しよう。
荒野をくだって 甲斐バンド
この曲を聴くと、私は、ブルース・スプリングスティーンの「ネブラスカ」というアルバムを思い出す。
歌い方といい、曲調といい、これはスプリングスティーンだな、と直感した。
いい曲だよね。
ところが、だ。
ネット社会になって、一般人のブログや掲示板に、曲のパクリのまとめを載せる輩が出てくるようになった。
パクリとは何か?
単なる猿真似は論外としても、芸術に、換骨奪胎はつきものである。
日本の和歌には「本歌取り」という技法さえあり、先人の作品に限り無い畏敬の念を抱き、そこから新たな作品を生み出す、という伝統さえある。
甲斐よしひろは、自身がリスペクトし影響を受けた音楽を、甲斐よしひろというフィルターを通して、己れの作品に昇華させたに過ぎない。
ネットは匿名の誹謗中傷のために存在するものではない。
おおよそ、馬鹿な暇人だけが、そういうたわけた言説を弄するのである。
以下のサイトは、私の想いをおおむね代弁してくれている。
では、パクリ、すなわち剽窃とは、芸術にとって何だろうか?
時代を遡って、16世紀末のイギリス、シェイクスピアの時代を考えてみよう。
シェイクスピアは、言うまでもなく、演劇史のみならず世界文学史にそびえ立つ巨人である。
若い頃、ストラットフォードの故郷から首都・ロンドンに出て、劇団に属して腕を磨き、座付き作者兼役者となった。
彼が活躍した時代は、イギリスの絶対王政を確立したエリザベス女王の統治時代と、ほぼ重なっている。
エリザベス1世は演劇好きで、演劇を弾圧する清教徒勢力と政治的に対立していたため、いっそう演劇を保護した。
その好条件下にあって、シェイクスピアは、数々の名作戯曲を書いた。
執筆に当たって、彼はギリシャ・ローマの古典から当代に至るまで、ありとあらゆる作品のエッセンスを抽出し、改作の可能性を探った。
シェイクスピアの作品に、元ネタの無いものはないとさえ言われている。
それは、誰もが知る歴史であったり、すでに発表された作品であったり、時事ネタであったりした。
それは、ひとり シェイクスピアだけに限った事ではない。
すなわち、シェイクスピア以前にも以後にも、「ロミオとジュリエット」のストーリーを持つ作品は何十作とあり、その中で最も優れていた作品だけが、四百年後の今も読み継がれ、上演され続けているのだ。
演劇界のみならず、近代的な著作権という概念は、シェイクスピアの時代には存在しない。
とにかく集客競争に勝つためには、座付き作者は何だって利用したのである。
無数の同一作の中で、なぜシェイクスピアの作品だけが残り、その他は淘汰されたかは、言うまでもない。
シェイクスピアの書いた戯曲には、人間性の真実が込められており、四百年の歳月にも耐え得る普遍性を備えていたからだ。
そういう歴史の中で、生き残り読み継がれてきたものが、古典と呼ばれる。
物事を、壮大な歴史の中でとらえてみると、ポピュラー音楽の中のパクリ疑惑などというものが、いかに卑小で、些事些末な問題であるかがよくわかる。
ネットによるパクリ疑惑の記事は、ただ浅ましい、中傷のための中傷が、その本質である。
表立って騒げない半可通の、嫉妬と自己憐憫の産物に過ぎないものだ。

シェイクスピア全集 ロミオとジュリエット (白水Uブックス)
- 作者:ウィリアム・シェイクスピア
- 発売日: 2014/10/30
- メディア: Kindle版
ATLANTIC CITY ブルース・スプリングスティーン
歌詞和訳 Bruce Springsteen – Atlantic City

- アーティスト:ブルース・スプリングスティーン
- 発売日: 2015/07/22
- メディア: CD
Well now everything dies baby that’s a fact
Maybe everything that dies someday comes back
すべてのものは滅びゆく
だがいつの日かまた甦る
このフレーズは、若き日の甲斐よしひろが、サウンドストリートで呟いていたものだ。
曲名がわからず、スプリングスティーンを聴いていたら、これに出会った。
ペストの時代。シェイクスピアのステイホーム。
シェイクスピアの時代にも、疫病の厄災はあった。
西欧の中世は、14世紀以降、数百年間この黒死病の襲来に怯え続けなければならなかった。
彼が生まれた1564年、故郷ストラットフォードはペストの流行で、人口の10分の1、200人が死んだ。
さらに、シェイクスピアがロンドンで人気作家となって第一線で活躍を始めた頃、ペストがロンドンの街に猛威をふるった。
1592年に発生したペストは、約2年間にロンドンの人口20万人のうち、およそ2万人の命を奪った。
ために劇場はすべて封鎖され、ロンドンの演劇界は壊滅的打撃を受けた。
主たる劇団は消滅、或いはロンドンを離れ、凋落の一途をたどった。
シェイクスピア、29歳の時だった。
それからの数年、シェイクスピアは、何をしていたか?
その間、彼は、ひたすら新たな創作に励んだ。
ひとつは、詩の創作だった。
当時の芸術家は、貴族のパトロンを得ることが、社会生活上重要だった。
叙情詩を書いて、それをパトロンに捧げるのである。
詩は好評を得て、出版され、版を重ねた。
もちろん、新作戯曲の執筆にも力を注いだ。
この頃執筆したとされるのが、「ロミオとジュリエット」「夏の夜の夢」「ヴェニスの商人」などの作品だった。
2年後にペストは終息した。
ステイホームの充電期間を経て、シェイクスピアは、さらに数多くの名作を生み出し、ロンドン演劇界に欠かせない存在になってゆくのである。
Smooth Operator SADE
本日は、シェイクスピアという人物を引き合いにして、ステイホームの実例を紹介した。
新たな創作とはいかなくても、次のステップへと、今だからやれる事があると思う。
時間だけは、人に平等に与えられているのである。
コロナの時代になってから、元ソフトバンクホークスの小久保裕紀さん(この方は私の大恩人である。)が、NHK福岡のニュース番組に出演していた。
中継の中で小久保さんは、新しい事を勉強しています、と話されていた。
さすがだと思った。
常に、現在を前向きに捉えることの出来る方なのである。
いずれ小久保さんのこともブログで書くことがあるかもしれない。
それでは、最後の曲。
これを聴きながら、今夜は終わります。
おやすみなさい。
Boat On a River スティックス

- アーティスト:Styx
- 発売日: 1995/04/20
- メディア: CD