こんばんは。デラシネ(@deracine9)です。
このところ、毎日あいみょんを聴いています。
あいみょんについて、歌しか知らない私が送る、あいみょん特集。
いわば、私的あいみょん入門編。
では、1曲目。
貴方解剖純愛歌 ~死ね~
インパクトある。
私の知るシンガーで、死ね~、と歌ったのは、かのエレカシ、宮本浩次居士とあいみょんだけである。
Apple MUSIC によれば、この過激な詞に放送自粛を行ったラジオ局があったとか。
恋というものが、究極の自己愛の発現であるからには、この歌詞は実に真っ当なもの。
私を選ばないなら死んでくれ、という気持ちになるのは自然。
そこまで理性の平衡感覚を失わせるのが、色恋の沙汰。
あいみょんと中島みゆき。
その昔、中島みゆきが「怜子」の中で、
人の不幸を思うようにだけは なりたくないと願ってきたが
今夜お前の幸せぶりが 風に吹かれるわたしの胸に痛すぎる
と歌い、愛のエゴが他人の不幸を願う想いに行き着く性(サガ)を、嘆いてみせた。
みゆきの愛のエゴは、「生きていてもいいですか」というアルバムで、究極の自己愛の否定へと向かう。
だが、そこから発心したかのように、みゆきは「悪女」で「軽み」の世界へと転身し、危機を脱した。
それから数十年。
あいみょんの歌は、その自己愛の罪悪感を軽々と乗り越えて、素直な自分の感情を吠えるように叫び、吐露する。
自己愛の残酷さは含み置きのうえで、自己矛盾、自己撞着のままに。
それは、進化かな。
あいみょんが、みゆきの歌を聴いているにしてもないにしても、歌は嘘をつかない。
2曲目。
満月の夜なら
あいみょん、ベッドインを歌う。
この特集をやりたいと思ったのは、この曲を聴いてから。
曲もいいけど、なんと言っても詞がすごい。
男女の初夜を、ここまでオブラートに包み込んで、ソフトにポップに歌える。
このメタファー(隠喩)は、相当な力量がないと書けないよ。
溶かして燃やして 潤してあげたい
次のステップは優しく教えるよ
君とダンス 二人のチャンス
夜は長いから 繋いでいて離れないでいて
この部分はわりとストレートな表現。
だけど、何も知らないネンネは、平気でカラオケで歌っちゃうでしょ。
そして思うのは、歌詞がユニセックスであること。
この曲も、リードしているのは男性みたいに思うだろうけど、女性でも、LGBTの人たちでも全然おかしくない。
自分のことを女の子が「僕」、男の子が「わたし」と呼ぶのは、普通なことになっている。
吉田拓郎は、1970年に歌っているよ。
わたしは今日まで生きてみました
「今日までそして明日から」
ロッキング・オン・ジャパン 2020年 10 月号 [雑誌]
次は、大ヒット曲。
マリーゴールド
あいみょん、王道をまかり通る。
ああ アイラブユーの言葉じゃ 足りないからとキスして
雲がまだ2人の影を残すから いつまでも いつまでも このまま
フルアルバム2枚目で、もはや誰しもが共感できる普遍性を手にした彼女。
この曲なんか、どこの詞を切り取っても、愛の調べを奏でて、リスナーの心をそっとギュッと、いつまでも離さない。
私がこのところ、若いアーティストに不満なのは、賞味期限が短いこと。
ちょっと良いアルバムを出したかと思うと、2、3枚で、萎れてしまう。
拓郎や陽水、ユーミンや中島みゆきなどのビッグアーティストを聴いてきた耳には、物足りない。
少し売れると、CMやドラマのタイアップが怒涛のように付き、売れ筋の曲を求められて、自分らしさを失くしてしまう。
そんなアーティストが多すぎる。
あいみょんのアクの強さは、それを回避できるか?
私は、全然だいじょうぶと思うね。
ホントに、オーラが違うというか、ね。
今夜このまま
あいみょん、妄想をかき立てることば遣い。
「広いようで狭いようなこの場所」ってどこ?
「簡単に冷める気もないから とりあえずアレ下さい」の、アレって、なに?
「指先から始まる何かに期待して」の、何かって、アレ?
昔、山口百恵の歌に「美・サイレント」という曲があった。
詞の中に、無言の・・・瞬間があって、くちびるだけは動いている。
無言という空白が、究極の妄想をかき立てる詞となっていた。
あいみょんの詞も、言葉こそ発しているが、これに近いものがある。
ことばという記号、感情や知性の代替物が、詞である。
メタファー(隠喩)を多用する事で、聴き手の想像力を刺激する手法は、日本古来の和歌や短歌と等しい。
同じ歌なのだから、あたりまえだが。
美・サイレント 山口百恵
あいみょんの作詞術。
「ダ・ヴィンチ」のインタビューを読んだ。
あいみょんは非常に読書家のようだ。
彼女の読書領域は、なんと○能小説にまで及んでいて、そこでメタファーの極意を会得したらしい。
エロチックな内容を、どうしてこれほど、ソフトに抑制した表現に置き換えられるのか?
この秘密は、ここにあったのだ。
情事をあからさまに書いてしまったら、それは小説の体をなさない。
小説であるからには、読者のイマジネーションを膨らませるための仕組みが必要だ。
それがダイレクトではない抑制した表現であり、メタファーなのである。
「好き」「愛してる」を使わずに、いかに恋愛小説を書くか?
それと同じなのだ。
マトリョーシカ
昭和的あいみょん。
キラキラに光る何かを追いかけて
私はそれでも愛されなくて
本当の自分を隠し続けてる
私はいつでもマトリョーシカ
マトリョーシカとは、ロシアのお人形。
中を開けると、小さなお人形が入っていて、その中にはまた小さなお人形が入っている。
無限ループのお人形。
マトリョーシカに託して、偽りの自分を演じてる。
そういう哀しい恋もあったっけ。
昭和の女だな。
あいみょんのインタビューを読んでみて、やっぱり私自身との共通点がすごく多いのに気づいた。
これは相当前の私のツイート。
あいみょんもインタビューで同じことを言っている。
#太宰治 語録
— デラシネ (@deracine9) 2017年10月13日
#斜陽
私は確信したい。人間は恋と革命のために生れて来たのだ。
太宰 治の"人間は恋と革命のために生まれてきたのだ"って言葉が好き。生きることと死ぬことと恋愛は一緒やなと思います。
「SKREAM 」あいみょんインタビューより。
生きていたんだよな
あいみょんの一人語り。
あいみょんのメジャーデビュー曲にして、神曲。
自殺したいとか思ったり、大親友が死んじゃったりした人にとっては、一度聴いたら忘れられないよな。
私も死をテーマにした曲をこのブログでたくさん紹介してきたけれど、こんな曲は、ほんと無かった。
今の君に、あなたに、心から寄り添い歌うあいみょんはすごいし、素敵だな。
君はロックを聴かない
アナログ好きなあいみょん。
最新アルバムをアナログレコードでもリリースしたあいみょん。
きっと、レコードのある家庭で育ったんだろうな。
君はロックなんか聞かないと思いながら
少しでも僕にちかづいて欲しくて
ロックなんか聞かないと思うけれども
僕はこんな歌であんな歌で
恋を乗り越えてきた
この歌なんか、オレはロックに救われた、なんて言ってる昭和のオジサンみたいな歌だ。
吉田拓郎も尾崎豊も、この中に入ってんだよな。
だから、私も大好きなんだけどサ。
生きて行け〜、超えて行け〜、みたいな感覚も混じりつつ…。
まだまだ、いい曲はあるんだけど、自分で探して聴いてみて。
今年、2023ツアー、私も参戦するよ。
たくさん、予習しとかなきゃな〜。
では、最後の曲。
愛を知るまでは、死ねないよ。
あたりまえさぁ。