ここ1ヶ月、風邪をこじらせ、不安な日々を過ごした。
ようやく恢復したかと思えば、日々の仕事に追われ、残りの時間を読書に充てる生活を続けた。
そしてまもなく、世界は新型コロナウィルスの蔓延する時代へと転じた。
このこと自体は、人類の歴史に於いて、なんら目新しいことではない。
疫病や飢饉、災害は、いつの時代にも人々の暮らしを脅かし続けてきたのである。
だが人間はおかしなもので、自分だけはそういう災禍に出くわすことはない、そう信じて暮らしている。
「デカメロン」というイタリアの物語をご存知だろうか?
14世紀の半ば、ペストの大流行のさなか、フィレンツェ近郊に寄り集まった十人の人々が、一人十話を語る、という形式の物語集である。
今、必要なのは、医療や住まい、パンであることは勿論だが、こんな時代に生きるための物語も、また必ず求められるもののひとつである。
- 作者:ジョヴァンニ・ボッカッチョ
- 発売日: 2013/11/01
- メディア: Kindle版
今年1月、エコーズ の今川勉が亡くなって、このブログに記事を書いた。
そのあと、初期の辻仁成のエッセイを2冊読み返した。
若い頃の自分を、まざまざと見せつけられた想いだった。
今回は、若き日の私の懺悔録とともに、思い出の歌を紹介したい。
そして、アーティストになりたいと願っている、若き君へのリファレンスとなるならば、また幸いに思っている。
それでは、1曲目。
ガラスの天井 辻仁成
1992年、これと同名タイトルのエッセイ集が出た。
この動画もその頃のものだ。
この頃の私は、辻仁成のあとを、夢中で追いかけていた。
小説デビュー作「ピアニシモ」に衝撃を受け、それからエコーズと辻の楽曲を、毎日聴いていた。
もう一冊は、文筆業に重きを置くようになった辻仁成が、バンド時代を回想したエッセイ「音楽が終わった夜に」。
今川勉とのエピソード「 最強のタッグ・オブ・ストリート、その後」は、このエッセイに収録されている。
- 作者:辻 仁成
- 発売日: 1997/07/18
- メディア: 文庫
- 作者:辻 仁成
- メディア: 文庫
辻は、私の若き日の夢を、ことごとく現実のものとした、まさに憧れの存在だった。
再読して、いまさらながらに、影響の残滓を身をもって感じる。
フランスの歌手で作家である、ボリス・ヴィアンやイブ・シモン、セルジュ・ゲンズブールの名をを初めて知り、ビート文学の聖典、ジャック・ケルアックの「路上」を読んだのも、辻の影響だった。
そして、辻の親戚に当たるという、絵本作家・東君平の本さえ買って読んだ。
また、思ったことは、必ず実践する生き方にも共感した。
辻は、「時間という尺度」に反抗する。
それを独裁者、「人間画一化マシーン」と呼ぶ。
だから、決して腕に時計をはめない。
人間を見る目も、世の凡庸な人々とは違い、しなやかで、本質を追求することに徹底していた。
人を鑑定するに、80年代に猛威を振るっていた、血液型と星座占いという区分があった。
あいつは、さそり座のO型だから、こういう性格でこんな気質だ、なんていうステレオタイプなモノの見方に、辻はガマンができない。
エコーズ の曲「RAINDROPS 」には、辻の詞には、こうある。
星占いとブラッドタイプ 君は信じすぎて
それらの言葉たちは、若かった私の魂を、激しく揺さぶり続けた。
東君平の童話館ホームページは、こちら。
- 作者:東 君平
- 発売日: 1990/01/25
- メディア: 単行本
2曲目。
フィルム・ガール 小山卓治
フィルム・ガール 詞:小山卓治
この曲は、1983年リリース。
同年4月に始まった甲斐よしひろのサウンドストリート、復帰第1回目の1曲目だった。
今聴いても新しい。
アイドルの現実を、赤裸々に歌っている。
80年代は、アイドルの時代でもあった。
松田聖子、中森明菜、小泉今日子、etc…etc...。
誰かをモデルにしたというより、より普遍化したと言うに近い。
ミスチルの桜井和寿が、これに似たモチーフの曲を作っている。
これは以前、このブログでも紹介した。
田家秀樹によるインタビュー。
ドロップアウトが原点。
とにかくふつうの、ありきたりの人生じゃ嫌なんだ。
それが原点だった。
けれども、まわりの大人たちが、一番嫌うのもそれなのだ。
特に、順調に波風なく生きてこられた優秀と言われる子ほど、そこからこぼれ落ちるのは難しい。
落ちこぼれの方が、その点では好きに生きることができる。
高校生の頃の私がそうだった。
家を飛び出して、甲斐バンドのローディーになりたいと夢想した。
しかし、下手に適応していい子になってしまうと、自分の意志でドロップアウトしてしまうには、大変な勇気が必要になる。
辻は、あっさりとその決断ができる奴だった。
エリートではなく、意志的にそちらを選ぶタチの男だった。
これだけでも生半可にできることではない。
しかし、その彼でさえ、バンドで食っていけるところまでたどり着くには、凄まじい屈辱の日々を耐え抜かなければならなかった。
情けない話だが、二冊のエッセイを読み、今あらためて私が思うのは、そんなことだ。
「カレーパン」というエッセイ。
辻が大学を中退し、仕送りが無くなって、バンドで生きることを夢見ている頃の話だ。
小汚く狭いボロアパートで、身体を壊し、バイトにも行けずに食うに困ったあげく、顔馴染みのコンビニの店長のいる店で、カレーパンを万引きしてしまう、というエピソードだ。
のちには、エコーズの辻仁成として名を馳せることになるミュージシャンが、そんな思いまでして夢を食み続けた。
その事実は、何さま大変なことだ。
そんな目にあっても、確かな才能を自分に信じうる事が出来なければ、やっていけるものではない。
夢を見るにも、とてつもない才能と努力が必要ということだ。
3曲目。
淋しい街から ARB
人は誰にでも、自我が生まれて以後の、原風景というものがある。
石橋凌の原風景は、まさに、この歌なのだろう。
夢を阻むものとの闘い。
若い頃、小説を書くと人に話すと、必ず絡んでくる奴がいた。
世間では、小説を書く、という言葉を相手から耳にした途端に、何か得体のしれない遺物を見るような目付きに変わり、世間知らずの自惚れ屋が、と言わんばかりに威丈高になったり、話題をまったく転じて、何も聞かなかった事のように振る舞う人が、それは多いのである。
芸術に生きることは、異端者になることであり、世間の常識からはみ出して世渡りをすることなのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。
しかし、そういう人びとのやっかみとも偏見とも取れる態度には、ずいぶん腹が立ったものだ。
そういう人びとは、必ずしも他人ばかりでは無い。
むしろ、親戚や縁続きの親しい人びとの中にこそ、もっとも多いのである。
だから、世間を認めさせるには、まず一番近い親父やおふくろ、親戚一同を敵として倒さなければいけないのだ。
芸術には才能が絶対条件なのだから、それは仕方がないと言えば、仕方がない。
こちらは口ばかりで、何の根拠もない自信に根ざしているのだから、その証拠を見せないと、誰も納得してはくれないのである。
一方で、世間は芸術に無知蒙昧であるほど、とことん芸術のオーソリティには弱い。
だから、実力でそれを認めさせるための、神話が必要となってくる。
昔の文壇や芸事で言えば、大御所に認められるとか、入門を許されるということが、その第一歩となった。
今は、どうか?
それは、自分自身で鉱脈を掘り当てるほかはない。
ヤマ師と変わらない。
身内に嫌われる所以である。
それが芸術の世界である。
今、芸術のヒエラルキーは、ずいぶんリベラルとなって、本当の実力の世界になっているのかもしれない。
若い子が新人賞を受賞して、そのまま芥川賞を取り、流行作家や大御所になるといったことも、よく見かけられる。
だが、その陰では、僅かな曙光も浴びずに塵となって消える者は、幾千万ともしれない。
何ゆえに、神はこのようなえこひいきをなさるのか?
それをテーマとした映画が「アマデウス」だった。
サリエリの悲哀を、他人事と顧みる事の無い人は、幸いなるかな。
次の曲。
わかってもらえるさ RC サクセション
前作、「スローバラード」が廃盤となって、キティレコードからリリースしたシングル。
この時期の清志郎の心情が伝わってくるフレーズが、幾つも散りばめられている。
10代の頃、この曲を聴いたときは、そんなことは思いもよらなかった。
この歌のよさが いつかきっと君にも
わかってもらえるさ ボクら何も まちがってない
もうすぐなんだ
- 作者:清志郎, 忌野
- 発売日: 2019/03/28
- メディア: 文庫
亡き友に捧げる。 文学が断ち切った絆。
学生の頃、私は同世代で幾人かの自称・作家志望者と出会った。
その中のひとり、Kは、かけがえのない同郷の友人だった。
当時、絶えず私の心に引っかかっている言葉があった。
偽物は、ただ口だけで、決して書いたものを持ってはこない。
本物は、何がなんでも実作を書き上げて持ってくる。
そのとおりだと思った。
ともかく、なんでもいいから、他人のモチーフを換骨奪胎しても、剽窃にあらざる限り、短いものでも書こうと思ってた。
しかし、Kには、作品を書いている気配がなかった。
催促しても、見せには来なかった。
未来に自分の能力の可能性を託して、今のこの時を無駄にしてはならないはずだ。
一編の作も為さずに、何が作家志望者であろうか?
その後、Kは関西の名門私立大学を卒業し、周囲の猛反対を押し切って上京。
フリーターとなり、作家修業の道を選んだ。
遅れて学校を出た私は、文学志望を父親に一喝され、地元福岡で社会人としてスタートを切った。
それから、数年の歳月が流れた。
二人とも、20代後半になっていた。
その頃の私は、仕事から帰って一眠りすると、深夜、小説を書いた。
何を書くべきか、という自問自答に始まり、モチーフを温めてゆき、何度も何度も書き直し、ようやくカタチが見えてくるまでには、相当の年月を要した。
そうして書き上げた小説を、辻が受賞したのと同じ新人文学賞に応募した。
私は、たまたま故郷を訪れたKに、その小説を読んでもらった。
彼は素直に驚き、感心してくれた。
その年の秋、その作品が新人文学賞の予選を通過するという奇跡が起こった。
私は、まずKにその喜びを電話で知らせた。
Kは興奮し、賛嘆してくれたが、そこに喜びを分かち合うという感じの言葉はなかった。
それからしばらくして、深夜、彼から電話がかかってきた。
奴は、明らかに酔っていた。
嫉妬が炎となって口舌をほとばしり、私への罵詈雑言は延々と止まなかった。
彼の焦燥は、私に先を超されたという想いに、ついに極まったのだ。
以後、彼との音信は途絶えた。
結局、私の未熟な作品は、予選の途中で落とされ、最終選考にも残らなかった。
それでも私は舞い上がった。
夢が現実になり得るという可能性を、信じていた。
しかし、その時点では、スタートラインにも立っていないことは明らかだった。
それから2、3年後、私のもとに、一本の電話が入った。
Kが死んだというのだ。
同年の知人の告げた訃報に、電話口で私は言葉を失った。
ようやく死因を尋ねても、何かの精神疾患だというほか分からなかった。
その頃、私は30代になったばかりで、組織のなかでも極めて多忙な部署にいた。
お前、葬式に行かないのか、と知人が尋ねた。
私は、お茶を濁したような返事しか出来なかった。
1日休めば、組織に多大な影響を及ぼし、仕事は蓄積し、自分の首を絞めることになる。
そして、何より仕事のほかは何も考えられないほど、私には余裕がなく、疲れ切っていた。
私は、Kの葬儀に出ることはなかった。
私は思った。
彼が精神を病んだのは、自分のせいではないか?
それからずっと、その想いが私を苦しめてきた。
自惚れるな、と、Kの声が聞こえてきそうだが、それ以外にKの死に、思い当たる理由はなかった。
何よりも、彼の唯一の友は、私以外に無いことに、間違いはなかった。
彼は、友人を作れないタイプだった。
プライドが高すぎた。
現役ストレートで私立の難関大学に入り、挫折を経験したことの無い男だった。
彼は、私にだけは、すべてを許して自分をさらけ出していた。
いまだに、私は、Kの墓前に足を運んだことさえない。
どのツラ下げて、という気持ちがあるのだ。
私は、Kの墓前に立つときは、自分が堂々と世間に名を誇れるようになってからだ、とそんな思い上がりを抱えて生きてきた。
馬鹿いうなよと、Kは冥府で、私の思い上がりを嘲っているに違いない。
嗤うべきかな。
愚かなるかな。
私は、芸術の火を盗み出そうとしたがために、コーカサスの岩山に磔にされ、鷲に肝臓を喰われ続けるプロメテウスと変わりなかった。
そして、今もなお、新しく生まれ変わった自分の姿を求めて、彷徨い続けている。
- 作者:アイスキュロス
- 発売日: 1974/09/17
- メディア: 文庫
次の曲。
ココロに花を エレファントカシマシ
この曲は、ソニーの契約を打ち切られたエレカシの宮本浩次が、再起を誓って書いた曲。
まさに、おのれを奮い立たせるがごとき、当時の宮本の心情が吐露されている。
ココロに花を もどかしき今日のオレに捧げるのさ
口には微笑み 未来に勝利を託し生きてゆこう
Yes おわらないさ やるこたぁまだまだある
戦うため生きてこう
売れない時代、アーティストは苦境の中にいるが、その状況が名曲を生み出す。
なぜなら、そこにはアーティストの魂がこもっている。
自身の血を流して書いている。
以前も引用した、ニーチェの言葉そのままに。
みずからの血をもって書いたものでなければ、人を感動させることはできない。
次の曲。
Dear Friend ECHOES
変わったね いつのまにか まるで人が違うみたいだね
変わりすぎて 見過ごすところだった
見慣れた街の交差点で 変わり果てた君が呟いた
まだそんなこと 続けているのか?
「Dear Fiend」。
この曲と同じモチーフの辻の書いたものに、「僕のビートジェネレーション」(「ガラスの天井」収録。)というエッセイがあるが、私もそれに似た経験をしたことがある。
学生の頃は、他にも、自称・作家志望者の友人がいた。
Yは、家業を継ぐことが嫌という本心を隠して、作家志望を気取っていた。
彼の下宿を訪ねて行くと、幾冊かの小説が散らかしてあるが、原稿用紙に向かっている気配はなかった。
あるとき、Yが私の自宅に遊びに来たので、私は自作の掌編を読んでもらった。
その小品は、世相を風刺した一種のエッセイ風のパロディであり、描写の場面は必然的に少なかった。
私は、Yに読後の感想を求めた。
気軽に笑ってもらえればよいと思って書いた戯作だったのだが、Yは、自分が試されていると思ったのか、顔をこわばらせ、絞り出すように、これはダメだと思う、と決めつけた。
そのあと彼からこぼれた言葉を拾ってみると、彼は、描写がなければ小説ではない、と思っていたようだ。
それから、十年近い月日が流れた。
突然電話がなった。
Yとつるんでいた友人からだった。
彼らの消息を聞いた。
Yとその友人の二人は、相変わらず職を持たずに、その日暮らしを謳歌していることが察せられた。
そのYの友人とも私は仲がよかった。
彼は、太宰治の回想録を読み、編集者になりたいと言い、互いに夢を語った一夜を過ごしたこともあった。
私が小説の話を切り出すと、Yの友人は、まだ書いてるの? と哄笑して止まなかった。
春よ来い はっぴぃえんど
家さえ飛び出なければ 今頃皆揃って
お目出度うが言えたのに 何処で間違えたのかだけど全てを賭けた 今は唯やってみよう
春が訪れるまで 今は遠くないはず
詞:松本隆
この詞は、肉親の歓迎しない芸術関係の道を選んだ人には、もう必ずココロ当たりのあるもので、まあ身にしみて感ぜられること、疑いない。
音楽家志望、作家志望の人間というのは、この世界中に掃いて棄てるほどいる。
あなたが本気で、これから音楽や文学で食って生きたいと思っているなら、この歌にある姿を自分と見て、覚悟しなければいけない。
平成の文学界を震撼させた、平野啓一郎の衝撃的デビュー。
20世紀も終わろうとする、1998年のことだった。
ひとりの大学生が、新潮という出版社に小説原稿を持ち込み、いきなり文芸誌に掲載されるという快挙を成した。
そして、その「日蝕」という作品は、翌年には芥川賞を受賞した。
まず、持ち込みである事、さらに学生である事が驚きだった。
当時も今も、作家デビューの一番の近道は、新人文学賞を獲ることで、まず、持ち込みで、いきなり純文学の文芸誌に掲載されることは、まず常識外の出来事だった。
そして何より、その作品の恐るべき超絶的表現力と純然たる文学性の卓越は、当時の文学界を戦慄せしめるに十分かつ必然の作品と言えるものだった。
その昔、井上ひさしは、「僕たちの世代には、大江健三郎ショックというものがある」と話していたことがある。
大江健三郎も、平野と同じく大学在学中に「飼育」で芥川賞を受賞し、世間の注目を一身に集めた作家だった。
同世代の人間には、これがショックでないはずがなく、もう小説は大江健三郎というすごい人がいるからいい、そこで井上ひさしは戯曲を書き始めたのだと言う。
- 作者:井上ひさし
- 発売日: 2015/12/28
- メディア: Kindle版
これとまったく同じ事が、私の身の上にも現出したのである。
このときの私の衝撃は、生半可なものではなかった。
彼は私より十歳あまりも年下で、しかも作品の質は、私が焦がれていた森鷗外のように俗世を超越し、私のひとつの理想型に近いと思われたからだ。
平野啓一郎は北九州市出身で、鷗外が一時期小倉に生活していたことも影響したのだろうと思ったが、それにしても、その天賦の才能は疑いの余地が無く、その作品は文句のつけようも無い素晴らしい作品だった。
一方で、私は生活との苦闘に明け暮れており、辻仁成が私の先をゆくのは当然のことと自らに宥しておく事ができたが、平野の場合は、もはや衝撃以外の何ものでもなかったのである。
- 作者:平野 啓一郎
- 発売日: 2014/10/03
- メディア: Kindle版
次の曲。
鳥の王 辻仁成
ニワトリもかつては 空を飛んでいた
俺だってかつては夢を抱いてた
飛ばない鳥たちは 地面を突っついてる
飛べない俺たちは夢を突っついてる
自由になるものなんて 限られたこの世界
翼を取り戻したい KING OF BIRDS
たどり着ける場所なんて 限られたこの地球
翼を広げてみたい KING OF BIRDS CRY
詞:辻仁成
自失の日々。
私が受けた衝撃は、半端なものではなかった。
平野の登場は、私の存在意義さえも疑わしめるものだった。
それからの数年間、私は書店に足を運ぶことすら嫌になってしまった。
完全に自分を見失った状態となって、私はそれまで自分がやって来なかった事をやるようになった。
芝居を観に行ったり、野球観戦に行ったりと、それまで抑えつけていたやりたい事を、解放した……。
それから幾星霜を経ただろうか?
私は、私であることを、取り戻し得ただろうか?
私は何を得て、何を失ったのだろうか?
……なにより私が間違っていたのは、他人は他人とすることを忘れてしまったことだった。
私が目指していた文学世界は私だけのもので、他人がどうこうでは無い。
書きたいから書く、読みたいから読む。
その原点を、置き去りにしてしまった。
同業者への嫉妬。
相当なステータスを獲得し得た作家や音楽家でも、先ほど述べた井上ひさしのような、ジェラシーは経験している。
かつて辻仁成は、エッセイの中で、既に故人となった尾崎豊に、半端ない嫉妬の感情を漏らしていた。
尾崎の音楽的名声と、辻のそれでは及ぶべくも無いほどの懸隔があり、死して伝説となった尾崎の存在は、同じレコード会社に所属し、同期だった辻にとって、それは激しい羨望と嫉視の対象となったことは、十二分にうなずける。
山田太一さんも、松竹の助監督時代、友人の寺山修司が、先に名声を得て、松竹でシナリオを書くようになった頃の焦燥を語っている。
自分が下っ端で働いているときに、友人だった寺山が、いわば上司に当たる監督や主演俳優と打ち合わせなどをしている姿を見るのは、まったくやりきれないことだった、と。
だが、そのエッセイで、井上ひさしの「潜伏期間が長いほど、持続するのではないか」という言葉にすごく共感しておられる。
何事にも無駄ということは無い、と思えるなら、すべては明日の糧になるものだろうと思える。
- 作者:山田 太一
- メディア: 文庫
今、あらためて「日蝕」を読む。
つい最近、私は平野啓一郎の「日蝕」を読んだ。
それは偶然に近い出来事だった。
親しい知人から、平野の小説「マチネの終わりに」を読んだという話を聞いた。
知人は、平野の使う語彙が、自分の知らないものがあって、戸惑うと言った。
それは当然のことだろうと、私は思った。
そのとき、ふっと私は、電子書籍に「日蝕」があるかを探した。
それは、すぐに見つかった。
私が超えられないと思い込んでいたものが、目の前にあった。
私はすぐに購入して、読み始めた。
かつての私は、ろくに読み進めることも出来ずに本の扉を閉じた。
しかし今は、私の前に、その頁は次々と開かれて行った。
私はそのとき、並行して別の歴史小説を読んでいた。
その舞台は、日本の中世だった。
一方、平野の「日蝕」は、中世のフランスだ。
私の張りつめた緊張の糸は、徐々に弛緩していった。
最後まで読み切り、私は幸福感が溢れるのを感じた。
私の試行錯誤の時間は、無駄ではなかったと確信した。
- 作者:平野啓一郎
- 発売日: 2019/06/06
- メディア: Kindle版
最後の夜汽車 甲斐バンド
これは初めて観る動画。
こんなのがあったなんて、すごい。
最近、MISIA がカバーしたが、このオリジナルはやっぱりいい。
スターダストの歌の白眉だろう。
フリーで生きるか、二足の草鞋か?
この選択は、人それぞれとしか言いようがない。
どちらにしても、実力がすべてだから。
私のように、凡庸な才能しか持ち合わせがない者は、やはり一般人の生活の苦労をなめることから始めて、よかったと思う。
ろくろく苦労もせずに、作家先生になっていたら、自分のような自惚れ屋は、ただ甘っちょろいだけのものしか書けなかったであろう。
また、私には山田太一さんの影響も色濃くあった。
そのホームドラマの中で、山田さんは、どちらか一方をよしとするのではなく、その両方の立場から、アウトサイダーと生活者との相克を描いている。
過激に芸術一辺倒で行く、友人・寺山修司と対峙する者として、山田太一さんはあったと思うのだ。
私には、一生活者から堂々と一人前になるくらいの力量がなければ、しょせん文学者として、やってはいけない、と思うところもあった。
実生活というものは、ふつうの生活者であっても一筋縄ではゆかない。
芸術家とは、何びとにも劣らない才能と体力と気力とを持ち合わせている、そういう人間が、幸運をも味方につけて、ようやくなり得るものだ。
結局は、それをすべてひっくるめての才能が必要となるのだ。
振り返ると、不思議なもので、辻仁成と平野啓一郎は、私にとって、今一番共感できる SNS 仲間となっている。
Twitterでの彼らの発信は、圧倒的に共感できる、私の情報ソースとなっている。
人生、捨てたもんじゃない。
今回は、こういうテーマだったので、より長い記事とした。
ここまで読んで下さった方がいたら、お礼申し上げたい。
その上で、自分ならやれる、という方は、大いに挑戦なさるがよい。
最後の曲。
これを聴きながら、本日は終わりです。
おやすみなさい。