バラッドをお前に
もうどれくらいになるかな、お前と出会って。
その頃、お前は女暴走族、いわゆるレディースのヘッドで、その評判はオレの耳にも入ってた。
だだっ広い駐車場のあるコンビニの前で、偶然、オレはお前を見かけた。
すげえド派手なメイク決めてて、とても女とは思えなかったぜ。
オレはむしろ、ナンパな不良で、族のお前とは格が違うって感じだった。
その頃のオレは、バカの行く私立校の高二。
永ちゃんはガチ好きだけど、森やんがオレの神だった。
夕闇に赤く映えてた空が、漆黒の闇に変わる。
そこは、地下にある、屋根裏部屋みたいな、狭っ苦しいライブハウスが入ってるビルの前。
ゲートが開くと客がなだれ込み、必死の場所取りさ。
開演時間が迫る。
ステージに群がり寄る野郎達に、ガン飛ばしたってなんの意味もない。
正面だけを見てる、ヤツらの岩盤みたいなフィジカルを、押しのけかき分け、オレはステージの最前列を目指した。
暗闇にうっすらと、電飾が点る。
ギター、ベース、ドラムが立ち位置を決め、ステージの陰影を濃くすると、照明が全開し、オレたちの英雄が姿を現す。
森やんのゲキが飛ぶ。
ビートに刻まれ、会場ごと宙に浮いたみたいな縦ノリが始まる。
その夜も、雷鳴みたいな客の叫喚に包まれ、オレらはみんな汗まみれになって、 ステージは完結した。
小屋を出ると、ひんやりした夜風が鼻っ面を横切ってゆく。
そのとき、初めて我に帰る。
オレのアンプから、プラグが抜かれた瞬間。
ライブハウス前の公園は、街のネオンサインで、ぼんやり彩られてる。
終演後しばらくは、そこいらに人溜まりができる。
出待ちの女達も、あちこちに固まってる。
そこで、顔馴染みの連中と目が合うわけさ。
オッス、オッスてな感じで、あいさつしてゆく。
ところが、その日に限って、とんでもない野郎達に出くわしちまった。
一時期、仲間に入れって集団で来やがって、しかたねえからツルんでた連中さ。
オレは、ツルむって事が大嫌い。
一匹狼で少しは顔を利かせてたんだが、そういう連中には、どうしても目をつけられちまう。
アタマには、きっちりタイマン張って、抜けるって筋を通していた。
ところがアイツら、そんな掟を屁とも思っちゃいない。
オレと出くわしそうな場所で、張ってたに違いないんだ。
おう、ここらで見かけねえ顔だなって具合さ。
インネンつけて、ヤキ入れろって飛びかかって来やがった。
オレはそこで、ボコボコにされた。
タイマンでは負けるから、仲間で来るって最低なヤツらだ。
イッパシの族には頭が上がらない、ハンパモン連中さ。
頭の中ではさんざんヤツらに悪態をつくが、もうオレはビシバシ全身殴られて、地べたに這いつくばり、だんだん気が遠くなりかけてた。
そのとき、「アンタら、それでも男かい」
頭上から、ドスの効いた女の声が聞こえた。
「おまえらみたいな腐った連中は、こうしてくれる」
たちまち、オレに群がっていたヤツらの顔に、鉄のコブシが飛ぶ。
うわぁっと男どもの悲鳴が上がって、見れば目と鼻が潰され、流血で顔中が真っ赤だ。
みんな、手を出すんじゃないよ、と大声でスケバンが手下にクギを指す。
すると、男どもの顔色が真っ青になるのが、オレにもわかった。
ヤツらはすっかりビビってしまい、散り散りに逃げ去った。
事が済むと、女は路上に倒れているオレに、チラッと目をくれた。
公園の街灯が、オレの情けない姿を照らしている。
それから女は仲間に声を掛け、バイクをふかして行っちまった。
それから二、三日後。
突然、見慣れない番号がオレの携帯を鳴らした。
出ると、あのスケバンだった。
だが、オレにはわからない。
どういうワケで、しばかれてるオレを助けたり、番号調べて携帯に掛けたりするのさ。
そういう謎めいた興味も湧いて、オレは翌日、赤坂近くの茶店で会うことにした。
女が身支度に時間がかかるってのは、ホントだな。
秋の日の、土曜の昼だ。
人混みに揉まれた風が、乾いた街を大仰に吹き上げてる。
遅れて女はやってきた。
ギラついた眼でオレを見据えると、テーブル越しの席に座った。
相変わらずのどぎついメイク。
ウェイターに「ホット」と注文。
それ以外、何もしゃべらない。
オレも無言のままだ 。
すると、わかんないよねぇ、と初めて女の表情が緩み、
「ちょっと待ってて」とバッグを持って化粧室へ消えた。
初めて女みたいな口をきいたかと思うと、便所かよ。
十分、十五分、二十分…。
何やってんだ、あのスケバン。
やがて、出てきた女は、まったくの別人のようだった。
スッピンの顔に、うっすら化粧をして、髪を下ろして、涼しげなワンピースに身を包んで…。
「あたし。わかんない?」
突然、記憶喪失の頭から、その顔が甦った。
「い、いしばし、ゆみこ!」
思わずオレは、叫んでた。
中学の同級だったんだ。
「お前、化けてるから、全然わかんなかった」
お前は、必死で笑い転げてたっけ。
それからは、いつもお前が、オレの心の中にいた。
お前は、中学のときからオレに気があったようだし、オレもまんざらじゃなかったんだよな。
だけど、その頃からお前は不良のマネ事をして、オレとはどこか遠い場所にいた。
お前はバイク屋の娘で、大勢兄妹のいる貧乏暇なしの家。
オレは、この町で少しは名の知れた、土建屋の一人息子。
お互いどこかで、ちょっと引いてた。
だが、この年になって、ハンパ野郎にボコボコにされてるイカれたオレを見つけて、同じ地べたで生きてるって、思ったんだろう。
女は不思議だ。
あれだけイキがって夜中に暴走してるお前が、オレの前では、清純派のアイドルみたいになっちまう。
オレはあのとき、お前があまりにシャイなので驚いた。
お前は、気恥ずかしそうに、オレの腕に抱かれた。
その後も、オレの顔が見れられない風だった。
未だにお前は、オレにとって謎の女だ。
昔、ある女優が、こんなことを深夜ラジオで言ってた。
すべての男は、最初の男になりたがる。
すべての女は、最後の女になりたがる。
オレはそれでいいと思った。
お前とのランデブーは、果てしなく続くように思えた。
だが、時間はダイアモンドみたいに輝きながら、色褪せて行く、魔法のようさ。
いつか、オレは高三になってた。
オレたちは、互いのやる事なす事に、口を挟みたくなる。
お前の二重生活にも、オレは疑問を持ち始めた。
お前は、オレと族と、どっちが大事なんだ、という気持ちが大きくなる。
なぜ、そこまでして走り続けなきゃならないんだ。
バイク屋の娘だからか?
家が貧乏で高校にも行けないからか?
冗談じゃねえぞ。
オレの周りの、見える景色も変わってくる。
いったいオレは、いつまで親のスネをかじって、ナンパな不良ごっこを続けてるんだ。
そんな自分に、イラ立ちを覚えることもある。
お前という女が、オレにとって、かけがえのないものになるほど、日々の生活がだらしないものに思えてくる。
ある日オレは親父に、
「ちゃんと高校くらいマトモに出て、家業を継ぐんだ。それでなきゃ、さっさと家を出て行け」
と、カミナリを落とされた。
ちょうどその頃。
赤坂の茶店でお前に会うと、何か様子が変だ。
グッタリしたみたいに、窓の外の景色を黙って眺めてる。
オレは、何だ、はっきり言えよと迫った。
「じゃ、聞いて」
お前は、ガキができた、と小声で言った。
「マジか。それって、マジなのか」
オレは一瞬クラッとめまいがした。
潮時だと思った。
お前のために。
いや、オレのためにも。
変わんなきゃいけないと、オレは信じた。
オレは、高校を出たあと、二年の間、親父の知り合いがやってる、大阪の土建屋の世話になることにした。
だが、大阪行きの事を話すと、お前は急に、ガキの事は冗談だって言い始めた。
オレは、ホントかって、何度も聞いた。
まさかお前、オレに隠れて堕ろす気かって、喉元まで出かかった。
お前もマジで怒り狂って、オレをなじった。
オレが口に出さなくても、言いたいことはわかってるって顔だった。
「あたしをしあわせにするって? なに言ってんの。あんた、自分のことしか考えてない。あたしのなにが、わかるっていうの」
お前はそう言って、泣き笑いの表情を浮かべた。
結局、ガキが生まれることはなかった。
思い出したくもない話さ。…
この町を離れるとき、オレはお前に言った。
族から抜けて、オレを待っててくれ。
大阪から帰ったら、必ずお前を迎えに行くから、と。
だが、そんなオレを、お前は信じてくれてたのか?
それとも、お前はオレの事なんか忘れちまったのか?
離れて暮らすと、そんなことばかり考えた。
毎夜のごとく、夢にうなされた。
お前がリンチにあって、汚される夢さえ見た。
あと三ヶ月。
もうすぐ帰ると、お前に手紙を出した。
返事は来なかった。
それからまもなく、昔のダチから、お前のうわさを聞いた。
半年前、道路沿いの壁に思い切りぶち当たって、それっきりだったってことを…。
オレは、お前が死んだ事も知らなかった。
知らされなかった。
泣いたさ。
ボロボロになって、泣いた。
オレは、それっきり、生きてるのか死んでるのか。
ときどき、狂ったようになっちまう。
お前のことを思うたびに、そうなるのさ。