こんばんは。デラシネ(@deracine9)です。
本日は、賭け事、ギャンブルの歌と題してお送りします。
いつものように、歌だけじゃなく、映画、アニメ、小説、マンガと、テーマに関わる作品を、たくさんご紹介しますので、乞うご期待。
それでは、1曲目。
賭け事の歌と言えば、これでしょう。
名曲中の名曲。
これを超える J ・POP の名曲がどれほどあるでしょうか。
落陽 吉田拓郎
いろんなライヴやレコーディングで拓郎は歌っていますが、やはりこの「LIVE ‘73」バージョンが最高でしょう。
1973年11月26、27日。中野サンプラザで収録。
初めて、レコーディングされ、レコードになったのが、このときの「落陽」なんです。
ギターは高中正義。
キーボード、松任谷正隆。
これを以前「叛骨の歌」という記事に書いたら、どこが叛骨だ、とコメントされたことがあって、わざわざ理由をつけ加えました。
これぞ、拓郎という名曲。
ギターで弾き語りするときの定番です。
昔、「LOVE LOVE愛してる」に藤井フミヤが出たとき、最後にこれを歌ってました。
この詞を書いたのは、岡本おさみ。
これは、ほぼ実話なんですね。
彼は、エッセイ「旅に唄あり」中の「落陽」で書いています。
苫小牧の街中で偶然知り合ったその老人は、サイコロバクチをしている賭場に筆者を連れて行きます。
これは、岡本おさみの、詩人としての好奇心がそうさせたようです。
三つのサイコロを振って、勝負するのが「チンチロリン」。
港での別れ際、サイコロを二つだけ渡すのは、あんたに賭け事は向かないから、やめておきなさいよという意味で、二つだけ渡すのです。
「二個ですか。これじゃチンチロリンはできませんね」
「あなたは博打で勝てる柄じゃありません。だから二個にしました」
「やるなってことですね」
「そうです」
「御親切に」
「サイコロだけはやらないほうがいいですよ。帰りの船から海に捨てなさい」
「そうします」
岡本おさみ「旅に唄あり」より。
2曲目。
パチンコ 憂歌団
賭博罪と合法ギャンブル。
日本の刑法には、賭博罪というのがあります。
しかし、パチンコ、スロット、競輪、競馬、ボートレース、世の中にはたくさんのギャンブルがあります。
法律自体が別の法律を作って、例外を認めているのが、先ほど言った公営ギャンブルなのです。
宝くじなんか、まさしく法律に書いてある富くじなわけで、これは国や公共団体がやるから合法化されているのです。
賭博で一番儲かるのは、胴元(運営者)と相場が決まっています。
国や公共団体はボロ儲けです。
では、なぜ一般の賭博は認めないのか?
私は専門家ではないので、個人の見解を述べます。
①暴力団や犯罪組織が胴元になったとしたら、資金源のドル箱になり、社会秩序の混乱をきたすこと。
②賭博を合法化するとした場合、一般人に法に基づく厳密なルールを守らせるのは、困難であること。
①は、解説の必要もないでしょう。
②は、逆の言い方をすれば、公営ギャンブルのように、運営主体を法律で限定し、監視し、ルールを守らせれば、一定の公序良俗の範囲内で運営させ、容易に違反を取り締まる事ができるからです。
刑法の条文。
(賭博)第百八十五条 賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。 (常習賭博及び賭博場開張等図利)第百八十六条 常習として賭博をした者は、三年以下の懲役に処する。2 賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、三月以上五年以下の懲役に処する。 (富くじ発売等)第百八十七条 富くじを発売した者は、二年以下の懲役又は百五十万円以下の罰金に処する。2 富くじ発売の取次ぎをした者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。3 前二項に規定するもののほか、富くじを授受した者は、二十万円以下の罰金又は科料に処する。
人間性を無視した法令の末路。
お酒やタバコもある意味そうですが、人間にはそういう泥くさいダーティな本能や、楽をして儲かりたいというような根源的欲望が潜んでいます。
それを無視した法律が、かつてどうなったか?
実際に、禁酒法を施行したアメリカの例があります。
人間は、禁じられた行為には、なおさら興味や関心を持ってしまうという習性があります。
結局、禁酒法は十数年で廃止されました。
その結果、大儲けをしたのは闇酒を製造・販売し、闇酒場を開いたアル・カポネなどのギャング達で、アメリカはますます犯罪大国になってしまったのです。
アメリカ、禁酒法の時代を描いた映画「ワンス・アポン・ア・タイム・アメリカ」。
3曲目。
宝くじは買わない RCサクセション
ギャンブルの本質。
RCサクセション、忌野清志郎のデビュー曲。
皆さん、宝くじを買ったことがありますか?
下一桁以外、ほとんど当たりません。
まさにボッタクリ商品です。
ギャンブルは、すべてそう言えるのですが。
先ほど、公営ギャンブルは、必要悪みたいなことを言いましたが、基本、欲に目のくらんだ、凡人に向けた犯罪対策と言っても過言じゃない。
治安維持のために、大衆が退嬰的な情熱を発散させる場所が必要ということでしょう。
かつてのローマ帝国で、奴隷同士、奴隷と猛獣を闘わせたりしたのも、同じ目的ですね。
中には、為政者自身が闘犬にウツツをぬかすという例もありました。
鎌倉幕府末期の執権・北条高時です。
古典「太平記」では、闘犬狂いの高時の失政が、鎌倉幕府が倒れた一因とされています。
競馬や競輪、競艇などには、ある種、賭けをしなくても、血統種や騎手、選手を応援したり、チーム〇〇をひいきにしたり、そういうスポーツの側面があって、別の楽しみ方があるとも言えますが、やってることは、やはりギャンブルです。
ギャンブルにすべて共通して言えるのは、中毒性がある事です。
最初の動機は、小金を儲けたいと思って始めるのでしょうが、まずビギナーズ・ラックで味をしめます。
胴元側から言えば、撒き餌を撒くわけですね。
この刺激が、忘れられなくなるわけです。
もう一度、勝ったときの快感を味わいたい、となります。
そこで、大いに負けて、ときどき勝ってを繰り返し、結局は、最初の勝ちは全部胴元側に回収され、大いに負けが膨らんで、時すでに遅く、中毒性を帯びることになります。
さらに酷いことに、すべてのギャンブルには、1万人に1人くらい凄腕のプロがいて、アホな一般人に、悪い夢を、まぼろしを抱かせるのですね。
これらに当たるのが、パチンコ、スロット、麻雀、指物取引、FX、仮想通貨などです。
皆さん、依存症のあるギャンブルには、くれぐれも気をつけましょう。
4曲目。
俺の借金全部でなんぼや 上田正樹と有山淳司
大阪ならではの歌ですね。
リアルな銭勘定を歌にするというのは、画期的です。
こうもあっけらかんと、カネの話を歌にできるのは、商人の町・大阪人特有の感性でしょう。
これは、次の記事でも紹介しました。
ギャンブルをテーマにした映画の名作。
映画で見応えのあるのは、なんと言っても「麻雀放浪記」。
最近、斎藤工主演でリメイクされましたが、推しは圧倒的に1984年製作版。
和田誠が初監督し、全編をモノクロで撮ったという作品です。
麻雀放浪記 TV CM
皆さん、和田誠をご存知でしょうか?
3年前に他界しましたが、イラストレーターで映画通、多才で粋な人でした。
若い方は知らないかもしれませんが、TRICERATOPS のヴォーカル、和田唱の親父で、妻は料理研究家の平野レミ、上野樹里の嫁ぎ先と言ったらわかるでしょうか。
この映画は、ホントによくできてます。
とりわけキャラクターの造形ぶりが、見事です。
鹿賀丈史や高品格、加賀まりこなんて、ホンモノがいそうですからね。
これにも出てますね、若かりし頃の大竹しのぶ。
個性派俳優、加藤健一もいい味出してます。
麻雀を知らなくても、十分楽しめます。
鹿賀丈史演じるドサ健という男。
負けがこんで、すっからかんになったあとは、自分の女(大竹しのぶ)の自宅の権利証を借金のカタに出したり、はては、バクチの金欲しさに、自分の女を女郎にしようと、加藤健一演じる女衒(ぜげん)の質グサに出したり…。
その破天荒ぶりが、この賭け事の危うさや面白さを際立たせて、笑えますよ、ホントに。
また、セリフが面白い。
「四暗刻(スーアンコー)単騎か。キツイな、オッさん。」
「負けた奴は裸になるって決まってんだ。」
ここらのニュアンスは、観た人しかわからないでしょうが。
だから、是非観てくださいね。
阿佐田哲也の原作がまたいいらしいのですが、残念ながら、私はまだ読んでいません。
長々と読書棚に眠っています。いつか読みたいと思って40年です。
麻雀の面白さ。
麻雀は、私も学生時代、中洲産業大学で大いに修業したもんです。
単に馬鹿ヅキだけじゃ勝てない。
カネを賭けなくても楽しめる。
そんなゲームだから面白いんですね。
カネが絡むと、ゲームもつまらなくなります。
素人がセコく、上がりを狙う打算の勝負になると、もう会社で営業やってるのと大差無くなりますよ。
少しでもカネを賭けないとつまらないというのは、病み始めてる証拠です。
されど、賭け事の世界にも、やはり凄腕のプロフェッショナルがいるわけです。
そこには、素人が見ることができない風景があり、ゆえに一芸を極めた人物の営為、行動というのは、ハタから見ていて、とても面白いのです。
麻雀仲間というのは、いいものですよ。
原作者の阿佐田哲也は、娯楽小説を書くときのペンネーム。
純文学を書くときは、色川武大でした。
この人の麻雀交友録の中にいるのが、筑紫哲也、井上陽水、吉行淳之介、伊集院静などです。
とくに井上陽水は、この人の影響を多大に受けていますね。
人生の先輩として、畏敬の念を抱いていたようです。
筑紫哲也さんの名前が出たところで、タモリと武田鉄矢との対談がめっちゃ面白いので、動画を貼っときます。
全員、九州人。笑えますよ。
九州人による爆笑九州談義 筑紫哲也、タモリ、武田鉄矢
緋牡丹博徒 藤圭子
歌っているのは、宇多田ヒカルのお母さん、藤圭子。
映画に出ているのは、寺島しのぶのお母さん、藤純子。
純子さんオリジナルヴァージョンも当然ありますが、歌はこちらがおすすめですね。
「博徒」とは、博打うちの事。
賭場を開くのが、ヤクザ屋さんの稼業です。
「緋牡丹博徒」は、東映の任侠映画シリーズ。
この第1作には、ご存知、高倉健さんも出てますね。
私にとっては幼少期の作品なので、自我に目覚めた頃には、お二人ともヤクザ映画から足を洗っていらした。
藤さんはフジテレビ「3時のあなた」の司会、健さんは「幸せの黄色いハンカチ」のイメージでした。
もっとも子供の頃は、テレビより映画が娯楽の王様だった時代の名残りで、町のあちこちに小さな映画館がありました。
映画といえば「ゴジラ対モスラ」などに並んで、ヤクザ映画の手書き看板が真っ先に浮かぶ感じでしたね。
これは、NHK BS でやってました。
いきなり賭場のシーンで、お龍さん、イカサマを見破るんです。
イカサマというのが、バクチにはツキモノ。
トーシロさんは、巻き上げられるに決まってるんですね。
やっぱり健さんは、カッコいいです。
福岡は筑豊炭鉱の川筋育ち。
川とは、筑豊を流れる遠賀川のこと。
この大スターを生んだのですから、福岡はすごいですよ。
まさに銀幕の中のヒーローです。
賭け事を題材にした小説。
ここからは、小説やマンガ、アニメなどを紹介します。
①「賭け」チェーホフ
19世紀のロシアは、トルストイ、ドストエフスキー、チェーホフといった偉大な作家を生み出しました。
当時、すなわちロシア革命前の帝政ロシアは、ヨーロッパ諸国の近代化に遅れまいと懸命でした。
それゆえ、文化や生活、風俗にも、多大な影響を受けています。
当時のフランスやロシアの小説を読むと、サロンや社交界の話がよく出てきます。
裕福なブルジョワや貴族階級の人間たちは、夜な夜なサロンにたむろし、夜会を開き、自邸に賓客を招き入れます。
それが、上流階級の人間であることの、ステイタスであったからです。
ディナーのあとは、演奏会や詩の朗読、トランプなどの賭け事といった具合に、様々な遊興に時を費やすのです。
その結果、事の発端は社交界の事件から、という話が必然的に多く生まれました。
チェーホフの「賭け」もそうですし、次のプーシキン「スペードの女王」もそうです。
「賭け」は、ある銀行家と若い法律家が、銀行家の自邸で開かれた夜会で、賭けをする話です。
どんな賭けかというと、人間は自由の束縛にどれだけ耐えられるかというもの。
法律家は、15年間を誰にも会わず一人で過ごす事の対価に、200万ルーブルを銀行家から受け取る、という賭けです。
法律家は、銀行家の自邸に設営された宿舎に、警護をつけられます。
本や酒、楽器などは自由に要求できる代わりに、一歩でもこの陋屋から抜け出したり、人と話したりすれば、負けとなるのです。
十五年後、賭けの結果や如何に、といったお話です。
15分ほどで読める短編小説ですが、寓話のような、機知に富んだ奥の深い作品です。
②「スペードの女王」プーシキン
プーシキンは、19世紀の偉大なロシア文学の礎(いしずえ)を築いた作家です。
ロシア文学で、母国語を使い、口語で小説を書くことを最初にやったという意味で、日本で言えば、夏目漱石や森鷗外にあたる人。
ロシアに本格的な近代小説が生まれたのは、まさにプーシキンがいたからなのです。
プーシキン以前は、ロシア文学と言えば、韻文の詩がメインでした。
だから、プーシキン自身も、若い頃は、詩や韻文の作品がほとんどです。
「オネーギン」などは、若い頃の太宰治が大好きだった作品で、つられて私も読みました。
この時代、西欧では決闘がよく行われていました。
「決闘」というと西部劇のイメージですが、元はと言えば、中世ヨーロッパから始まった文化です。
日本で言えば、博徒や侠客の果たし合いです。
これは、命を賭けるわけですから、究極のギャンブルです。
プーシキンは、その進歩的な思想が貴族達に憎まれ、けしかけられた決闘で命を落としました。わずか37歳の生涯でした。
プーシキンと聞くと、プーチン大統領を思い出して、いやな気分になる方がいるかもしれませんが、同じロシアでもまったく異次元に違いますから、プーチンはお忘れくださいませ。
習近平とプーチンは、民主主義の敵ともいえる、独裁者コンビですからね。
プーシキンの作品は、死後、同じロシアの作曲家によって、たくさんのオペラになりました。
「モーツァルトとサリエリ」というオペラがありますが、元をたどると、これが映画「アマデウス」の原案となっています。
「スペードの女王」はプーシキンの代表的な短編小説です。
軍人仲間がトランプをやっているとき、自分には賭ける金がないからと言って、いつも眺めているだけの、ゲルマンという男が主人公。
彼は、カードの中身を三度見抜く秘法を持っているという、ある伯爵夫人の話を耳にします。
そこで、なんとかして、その秘法を授かろうと、伯爵夫人に近づこうとします。
ゲルマンは、いかにしてその秘法を手に入れるか、その野心を成し遂げることができるのか?
この小説を読んで、私の頭に浮かぶのは、アニメ「ルパン三世」1st シリーズの中の「ナポレオンのトランプ」のエピソード。
トランプのジョーカーがニヤリ、とするカットです。
これもお読み頂ければ、わかると思います。
ルパン三世 「全員集合トランプ作戦」
チェーホフ「賭け」とプーシキン「スペードの女王」は、上のリンク、「ちくま文学の森・賭けと人生」に収録されています。
賭け事の話が読める、おすすめの一冊です。
これはトランプの歌。
Happy Birthday 井上陽水
③「賭博者」ドストエフスキー
タイトルのとおり、ドストエフスキーが、自身の実体験をもとに書いた作品。
舞台は、ルーレテンブルグ、ルーレットの町という意味の架空の町です。
主人公はロシアの青年で、ある富裕層の一族の家庭教師をしています。
この小説を読んでも、やはりロシア人が、当時の西欧人にいかにコンプレックスを抱いていたかがわかります。
最初は純愛に苦しんでいた青年が、時とともに、ルーレットの虜になってゆき、ギャンブル以外のすべてに生きる意味を見いだせなくなっていきます。
ドストエフスキーにしては、凡作の部類に入る作品でしょう。
それもそのはずで、これを書く時、ドストエフスキーは借金のカタに、自分の全集の版権を売り渡す契約をしていました。
そして、全集のために、あと1つ長編を書かなければ、以降その全集からの印税は1円も入らないというオプションが付いていたのです。
そのとき、ドストエフスキーは「罪と罰」を連載中で、他に長編を書く余裕などなく、その結果、口述してそれを書き留める速記者を雇い、わずか27日で書き上げたのが、この「賭博者」という作品になったのです。
しかし、そのときの速記者が、二番目の妻となるアンナという女性で、それ以後のドストエフスキーの作家としての大成を支えた、最良の妻と言われています。
④「競馬」織田作之助
織田作之助は、戦後まもなく、太宰治や坂口安吾と並び、無頼派と称された作家です。
タバコと酒とヒロポンが欠かせない、焼け跡まもない大阪の文化を象徴する人物。
短編小説を多く書きましたが、映画監督の川島雄三と懇意で、映画の脚本も書いています。
有名な作品は、いうまでもなく「夫婦善哉」。
今も、大阪に行けば、織田作ゆかりの善哉屋さんがあります。
「競馬」も面白い短編です。
主人公は寺田という元教師の男で、女給だった愛妻・一代を亡くして悲嘆に暮れています。
寺田の賭ける馬は、決まっています。
馬というより、一番の馬券だけに、ひたすら賭け続けるのです。
なぜなら、妻の名前が一代だからです。
レース終盤の、息もつかせぬようなラストが印象的な作品。
実は、織田作之助の愛妻も一枝という名でした。
織田作は、癌で亡くなった妻(享年31)を看取る体験をしたのです。
「競馬」は、そんな妻への鎮魂の意味を込めた作品と言えるでしょう。
その織田作自身も、その2年後、結核のため夭逝しました。
33才という若さでした。
⑤「ファウスト」ゲーテ
ドイツの文豪、ゲーテの大作です。
これも大きく言って、「賭け」をテーマにした作品と言えるでしょう。
一行一行が独立した詩のようで、それが連なっていくと、幾重にも読み取れる多層的な文脈を展開し、あらゆる時空を超えた人間感情のひだを奏でて止まない。
戯曲ともなり詩ともなり散文ともなった表現の豊かさも、何回読み返しても新たな発見がある、世界文学最高峰の作品。
ゲーテとシラーの銅像。
ファウスト博士は、狭い研究室で学問や研究に明け暮れた末、人生の意義に深い懐疑を抱きます。
そこに現れた悪魔、メフィストフェレスに誘われ、大きな賭けをすることになります。
メフィストは、博士が死後の魂を売り渡すのを条件に、この現世で味わい得る、ありとあらゆる愉楽や悲哀の体験を約束するのです。
ファウスト博士は、悪魔との契約により、世界の存在と人生の意味を見出すことができるのでしょうか?
人間とは何か、この世で生きるとは何か、それを問うことを文学が一大テーマとしている限り、永遠に読まれ続ける作品だと思います。
ここからは、マンガです。
⑥「ジャりん子チエ」はるき悦巳
言わずと知れた、大阪は難波の人情を描いた傑作マンガ。
チエちゃんは、まだ小学生なのですが、バクチ好きの父親・テツに愛想をつかした母親が家出をし、代わってチエちゃんがホルモン焼き屋を営み、生計をたてているのです。
ですが、チエちゃんの周りには、いつも笑いと笑顔が満ちています。
もちろん、カラ元気のときもありますが。
このマンガは、全編にバクチの話が出てきます。
マンガに出てくるオイチョカブのルールが、さっぱりわかりません。
インケツって、なんだろうって感じ。
でも、十分楽しめます。
アニメもまた面白い。
マンガの連載中に、作家の井上ひさしが大絶讚していたのを覚えています。
ジャりん子チエ 第1話
⑦「俺の空」本宮ひろ志
これは、青年向けのマンガとして有名ですね。
お父さんは、小さいお子さんの目の届かないところで読みましょう。
大富豪の跡取りに生まれた主人公が、世界一の花嫁を探しにさすらいの旅に出るというお話。
この中で、カジノの場面があり、これが面白い。
カジノのオーナーを相手に、大勝負をするのです。
これを知らないというボーイズは、心して読みましょう。
最後に。
結局、賭け事とは、なんでしょう?
まあ、人生そのものが、賭けみたいなものですから。
生まれも、容姿も、人種も、性別も、誰も最初から選ぶことはできませんね。
ひとつだけ言えるとしたら、一番その人の人間性が出るのが、賭け事をやっているときだということでしょう。
麻雀ひとつで、その人の人格みたいなものがすべて露わになってしまう。
そんな気がしませんか?
不用心に、自分をさらけ出すのはやめて、明日も地道に稼ぎましょうや。
火遊びには、限度が大切ってことでさ。
それでは本日はこのへんで。おやすみなさい。