こんばんは。デラシネ(@deracine9)です。
日本の音楽シーンと、カウンターカルチャーの歴史を振り返る特集第1弾。
いわば、私こと、デラシネの独断と偏見による、J・POP の歴史。
では、1曲目。
1972年7月リリース。アルバム「元気です」収録。
祭りのあと よしだたくろう
祭りは終わった。
詞は「落陽」「襟裳岬」など、拓郎とのタッグで数々の名曲を手がけた岡本おさみ。
こんな歌詞がある。
日々を慰安が吹き荒れて 帰ってゆける場所がない
日々を慰安が吹き抜けて 死んでしまうに早すぎる
この詞の中の「日々を慰安が」という言葉は、吉野弘の詩を、岡本おさみが借りてきたものだと言う。
私は、この事実を、山田太一さんのエッセイをキッカケに、最近ようやく知った。
エッセイの中で、山田太一さんは、吉野弘の「日々を慰安が」を引用していた。
岡本おさみの詞と吉野弘の詩にある言葉が、まったく同じであるからには、無関係なわけがない。
そう思い、ググったのだ。
この言葉を、何十年と心に抱いて生きていた。
それが、山田太一さんが好きな詩人、吉野弘のものだったとは…。
何の脈絡もなく、好きだった言葉を、私の大好きな文筆家二人が、異なる表現媒体で引用していたのだ。
結局、好きなもの同士は引き寄せ合う、そういうことなのだろう。
60年代は、政治の季節。
若者たちは、燃えていた。
あるいは学生運動へ。
あるいは、アングラフォーク、アングラ演劇へと走った。
どれも、国家権力と闘うことを潔しとしていた。
世の中に対しては気難しく、真面目に、政治や社会に注文することが、正義と思われた。
人生の本質に対しても、同じく正面から向かい合い、対峙している必要があった。
この歌は、そういう時代への訣別を、象徴していた。
「革命」を夢見て闘う時代は、終わった。
すべての祭りは、終わったのだ。
祭りのあとの寂しさは、今宵の酒や、女で紛らわすしかなくなった。
政治的混沌は単純化され、国は経済発展、金まみれになることを奨励した。
拓郎や陽水の登場により、個人の時代がやってきた。
だが、その本質を理解した人間は、ほとんどいなかった。
日本人の同調圧力体質は、次なる時代を用意していた。
1973年6月リリース。アルバム「お伽草子」収録。
ビートルズが教えてくれた よしだたくろう
これも、同コンビの名曲。
こんな歌詞がある。
ウジウジと吹き溜りのスナックで
腕を組みながら
考え深そうな顔をするのも楽にできる
日陰ばかりを好んでいては
いじけてしまうんだぜ
もっと陽気であっていいんじゃないか
もっと陽気でもいいんじゃないか
これは、1970代以前の若者たちに向かって歌われた。
左翼へ走る、全体主義志向の若者たちへ、一石を投じた、メッセージソングだった。
反時代的であること。
その価値を、知っているから歌えた。
1972年。
「結婚しようよ」をリリースしたこと。
曲が大ヒットしたこと。
それが商業主義に身を売ったとして、コンサート会場では「帰れ」「帰れ」の大コールを浴びた。
「帰れ」と叫ぶ客が、正しいと思っている頑なな価値観。
それが唯一、真っ当な価値であるのか?
たくろうは、きっと舌を出していたに違いなかろう。
おまえら、ひとりで戦えないのかよ。
70年代は、拓郎の時代だった。
そのニュートラルで、自由な生き方や主張が、熱い共感を呼んだ。
「フォーライフ」レコード設立も、つま恋コンサートも、その延長線上にあった。
80年代。「ネクラ」の肖像。
そして、80年代を迎えた。
タモリの「笑っていいとも」が放送開始。
「ネクラ」「ネアカ」という言葉が大流行していた。
タモリは、絶大な人気を誇ったさだまさしや小田和正を引き合いに出し、ネクラなヤツと断定。
盛んにおちょくって、この言葉を拡散させた功労者?となった。
タモリはその実、「ネクラ」という表現をむしろ肯定的に使っていたのだ。
しかし、その言葉に飛びついた大衆の受け止め方は違っていた。
「ネクラ」は陽気で空気の読めるノリのいい奴、「ネアカ」は陰気でマジメ、冗談の通じない奴、と表面的な人格分類として受け止められた。
その「ネクラ」抹殺ファシズムは、80年代の世相を象徴する流行語として、バブル絶頂を迎えた世界一の経済大国日本に跋扈していった。
タモリと筑紫哲也の対談。「ネクラ」の意味に言及した。
80年代。「ネアカ」の肖像。
そして、この歌詞をもう一度、掲げる。
ウジウジと吹き溜りのスナックで
腕を組みながら
考え深そうな顔をするのも楽にできる
日陰ばかりを好んでいては
いじけてしまうんだぜ
もっと陽気であっていいんじゃないか
もっと陽気でもいいんじゃないか
80年代に、この曲を聴いた人間には、奇妙に思えた。
そうじゃない?
当たり前じゃない?
クラいんじゃ、盛り上がれないよ。
この曲は、図らずも、80年代の若者たちの登場を、ある意味で、予言してしまったのだ。
彼らに一様に言えること。
考えること、真剣に生きることをバカにする。
ノリが悪いこと、気まずいことを極端に嫌う。
岡本おさみは、60年代の風潮に対するアンチテーゼとして、先の詞を書いたはずだ。
ところが、今度は70年代以前とは真逆の、軽くて陽気な人間の価値ばかりが賞揚されることになってしまった。
これは、時代の皮肉としか言いようがない。
その吉田拓郎は、80年代、どうだったか?
それはまた、次に語ろう。
最後の曲。
皆さま、お暑うございます。
暑中見舞い よしだたくろう
それでは、本日はこれで終わりです。
おやすみなさい。