こんばんは。デラシネ(@deracine9)です。
本日は、隠れた J・ロックの名曲 PART3 をお送りします。
今回も、聴いて損はしない、名曲の数々をお楽しみください。
では、1曲目。
ラブ・ジェネレーション ジャックス
- アーティスト: Jacks
- 出版社/メーカー: Universal Music LLC
- 発売日: 2016/09/07
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ジャックスは、1960年代後半に活動した、日本のロックバンド。
早川義夫、木田高介、つのだ☆ひろ、谷野ひとしの4人が主要メンバー。
日本のロックシーンの草分けとして、後進のミュージシャン、バンドに多大な影響を与えました。
早川義夫は、ソロで歌った「サルビアの花」が有名です。
木田高介は、ジャックス解散後、かぐや姫、リリィなど、多くのミュージシャンのアレンジを手がけました。
つのだ☆ひろは、「メリージェーン」で有名ですね。
私のジャックス体験は、甲斐よしひろのサウンドストリート、ジャックス特集がキッカケです。
甲斐がアマチュアのとき、ソロで歌っていたライブハウス「照和」で、海援隊がジャックスを歌っていたそうです。
海援隊は、当時ロックをやっていたらしい。
ところが、チューリップの財津和夫が、海援隊からドラムの上田雅利を引き抜いて、上京してしまった。
ドラムのいなくなった海援隊は、フォークグループになった。
これは、甲斐よしひろが話していたエピソードです。
この曲は、60年代を肌で感じさせる詞ですね。
信じたいために親も恋人をも
すべてあらゆる大きなものを疑うのだ
この詞には、ふた通りの解釈があると思うのです。
ひとつには、ひとつの真実を導き出すには、あらゆる大きなもの、権力や体制、さらには、親や恋人の言うことにも疑いを向け、真実を求めようとする。
二つめは、何かしらの大きな体制や権力に立ち向かうため、その正義のためには、親兄弟、恋人さえ信じないで、おのれの信念を貫き通そうとする。
私は、ひとつ目の方が、しっくりとくるし、この詞の普遍性を証左するものだと考えます。
しかし、当時は、二つめの考え方をする若者が多かったのではないか。
「おのれの信念」とは、言うまでもなく、マルキシズム ( 共産主義 ) です。
60年代は、そういうイデオロギーが、一般大衆にまで及んで、人間の精神をある意味で拘束していた時代だったともいえます。
もともと、日本には、武士道精神に代表される、大義のためには、おのれの命をも顧みない心性、その血脈を受け継いできた歴史があります。
個よりも全体、私よりも公を尊重する思想です。
それが、いくぶん変わってきたのは、つい最近のこと。
日本人のメンタリティの中に、明治維新以降持ち込まれた、西洋の個人主義の思想が、終戦後になって、知識階級だけの持ち物ではなくなり、戦後半世紀を経て、 一般大衆の中にまで、少しずつ、浸透してきた。
分かりやすくいえば、アメリカナイズされたライフスタイルが、テレビやマスコミ媒体の発達によって普及し、日本人のメンタリティにも、西洋的な心性が、入りこんで来たものだと思います。
とはいえ、いまだに日本人は、みんなと同じじゃないと落ち着かない、そういうメンタリティを、十分に持ち続けています。
学校教育の現場に見える、徹底的な個性の排除。
いじめという集団による人格差別。
この背景には、やはり、日本人の持つ、弱者を人身御供にとり、保身を図ろうとする、村八分の心性が見え隠れします。
フランス在住の作家・辻仁成は、ツイッターで、人と違っても構いやしないよ、自分の人生を生きなさい、というメッセージを我が子に、日本人に、発信し続けています。
やはり、日本人の価値観やメンタリティに違和感を覚える人びとには、やはり日本は住みにくいのだろうかと思えてきます。
息子よ。みんなに愛されたいと思うな。もしみんなに愛されたら、それは相当無理をしてる証拠だ。自分の人生なのにみんなによいしょして何が楽しい。君が愛すのはただ一人の人間で十分だよ。薄っぺらい愛などいらない。より強くより厚い愛をただ一つ。たった一人に深く愛されるような人生を生きなさい pic.twitter.com/S6lcU7N2GP
— 辻仁成 (@TsujiHitonari) 2017年9月14日
息子よ。一生は君のものだ。それは君だけの人生。誰にはばかる必要があるだろう。何に遠慮する必要があるか。恐れて踏み出せずにいたらもったいない。気兼ねなんかする必要はないんだよ。失敗したって全部が人生の肥やしになる。人は奴隷になっちゃいけない。さ、いってらっしゃい。そこは君の舞台だ。
— 辻仁成 (@TsujiHitonari) 2017年9月7日
酔って候 柳ジョージ&レイニーウッド
この曲は、幕末の土佐藩主、山内容堂を歌っています。
司馬遼太郎に「酔って候」という同名小説があり、これに感銘を受けた柳ジョージが、司馬遼太郎にあいさつに行き、このタイトルの使用を許可してもらった、というエピソードがある曲。
ロックと司馬遼太郎を結びつけた、柳ジョージはシブい。
海援隊も、その手の歌を歌ってますが、曲のクオリティがもの足りません。
柳ジョージ。
この人も、日本のロックシーンを引っ張った先駆者だと思います。
これは、柳ジョージの自伝。
彼女はチャーミング ARB
「真実」とは何か?
先ほど触れた個人主義というもの。
これは、利己主義とは違うのですね。
これは、ネット検索してもらえば、すぐに分かります。
それほど、誤った理解は見られない。
だけど、その違いが何なのかを、自分の頭で考えようとする人たちは、それほど多くはない。
考えることを放棄して、他人に教えられたことを鵜呑みにする方が、圧倒的に楽だし、それをやってくれるのが、テレビや新聞、ネット情報だと思っているのです。
たとえ、それらの情報が真実に近いものであれ、自分の頭で考え、判断することが大切ですね。
特に映像化された情報というのは、リアルなだけに、説得力を持つ。
しかし、映像というものも、そこに映し出されたものは、人間がある視点から編集し、加工したものだということを、決して忘れてはいけないのです。
私は、このブログで、「真実」という言葉をよく使いますが、本来「真実」なんて、どこにもないのです。
「真実」とは、常に探究さるべき、仮説に過ぎない。
だから、誰が、どんな立場で、どんな意図で、その情報を発信しているのかを、自分の頭で考えることが、必ず必要になる。
落とし穴にハマらないようにしましょう。
ネット社会、情報化社会は、危険だらけです。
朝まで待てない モップス
モップスは、鈴木ヒロミツ、後にアレンジャーとして活躍した、星勝の在籍した、グループサウンズ時代にあっては異色のロックバンド。
この詞は、阿久悠の作詞家デビュー作。
小山卓治のカバーが、弾けて心地よい。
裏切りの季節 甲斐バンド
これも、ジャックスの曲。
甲斐バンドのカバー。
まるでオリジナルのように、甲斐バンドらしい泥臭さに溢れている。
- アーティスト: 甲斐バンド
- 出版社/メーカー: EMI MUSIC JAPAN(TO)(M)
- 発売日: 2007/12/12
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本日は、若かりし頃の日本のロックをお送りしています。
最近はこのブログも、曲の紹介だけでは物足りなくなってきて、色々なゴタクを並べるようになってきました。まぁ、爺いの戯れ言と思って、おゆるしください。
人間の愚かさについて。
それにしても、最近のニュースは怖ろしいことばかりだ。
何から話していいやら、怖いことだらけだ。
国際情勢しかり、憲法改正しかり。
今の北朝鮮を、ならず者国家だとか、世襲制国家だとか言うけれども、日本も八十年ほど前は、まったく同じような国だったのだからね。
少しは自身の足元を顧みろ、だ。
日本は、弱体化した江戸幕府を倒し、明治維新という一大革命を成功させ、アジア諸国の中で、唯一、欧米列強諸国の植民地とならずにすんだのだ。
それなのに、自分たちの国を食いものにしようとした国々と同じ道を歩んで、朝鮮半島を、中国を、アジア全体を、自国の支配下に置こうとする軍部の誇大妄想狂の野望に引きずられ、ナチス・ドイツ、ファッショのイタリアと並んで、国民のすべての自由を奪い、すべてを狂気の戦争に駆り立てていった、自国の姿を、もう忘れたのか?
あれから、百年も経っていない。
人間の愚かさよ。
時の総理は、憲法改正に躍起になっている。
自衛隊は、違憲。憲法違反。そう言わせないために。
戦争ができる国にするために。
ある人は言うかもしれない。
隣にあんなに危ない国があるんだ。軍隊を持たなきゃ危ないよ。
それは、間違いだ。
ケンカをするのに、武器を持つ。そうすれば、敵は殺すが、自分も殺す。
それが武器というものの本質だよ。
こちらが徒手空拳であれば、どんな危険な相手であろうと、殴りはしても、殺しはしない。
せいぜい、領土を乗っ取って、えへんと空威張りをしてみせ、指図をするだけだ。
それが無茶だと思うかい?
国辱だと思うか?
人間の愚かさよ。
国なんてのはね、大昔は権力を拡張し、維持するために生まれたものだが、現代にあっては、人間が幸福に暮らすための、システムなのだよ。
また、そうしなけりゃならない。
それを、人間並みに扱い、屈辱だと思うのが間違いなのだ。
お国のためにと、戦争は、人を殺してきた。
大事なのは、人間です。国ではない。
国破れて山河あり。
国が滅びても、そこに生きる自然があれば、人間には何の不都合もないのだ。
国というものが、ナショナリズムという全体主義を生み出し、権力を欲する者の道具になっているのであれば、そのような国家は、現代に存在すべきではない。
無論、それは夢かもしれない。しかし、夢は叶えるもの。
とうの昔に、ジョン・レノンは歌っている。
想像してごらん、国境の無い世界を。
Imagine JOHN LENNON
憲法は改正すべきか?
今の憲法は、よその国から与えられたものだから、嫌だという。
まるで、子供だ。
第2章 戦争の放棄
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
これが、現・政権が改変しようとしている、日本国憲法の第9条です。
誰から与えられたものであろうとなかろうと、この世界にあって、至上無比の、戦争放棄を謳った憲法を、変える必要がどこにあるでしょうか?
理想を掲げることが、それに近づく唯一の手段なのです。
既成事実としての自衛隊の存在と、憲法が矛盾する。
だから、憲法を変えるという。
馬鹿げている。
悪しき現実のために、理想を放棄するという愚かさに、なぜ気づかない?
人間の愚かさよ。
正すべきは、防衛とは名ばかりの、軍事力の放棄だ。
悪の帝国が侵略してきたら、どうするか?
おまえは責任持てるのか?
そう言いなさるかね。
映画の見過ぎだよ。
スターウォーズの世界は、神話に過ぎない。
神話とは、時の国家が、自分たちの権力の正当性を主張するために、こしらえたものだ。
悪の帝国が今にも攻めてくるから、武力という必要悪はやむをえん、という言い草は、絶対的正義がこちら側にある、という前提がなければ成立しない。
しかし、絶対的正義などというものは、この世に存在しないもの。
人は社会を維持するための便宜として、法律とか道徳を作ったが、本来、人は人を裁くことはできないものだ。
人は神ではない。
神という人間のあみだした絶対的な権威の前に、ひれ伏すしかないものだ。
絶対的正義があり得るのは、善と悪が単純に割り切れるフィクションの世界の中だけなのである。
だから、戦争を正当化するためには、向こうは絶対的悪でこちらは絶対的善だという神話が必要なのだ。
現実に戦争をする国に生きている民にとっては、武器を手にして戦争へ駆り出され、自分には敵でも味方でもない人類同胞をひたすらに殺戮するよう強制されるばかりなのだ。
そこに、絶対的な正義などは微塵もない。
仮に、国家の悪というものがあるとしたら、それは国家という共同幻想に溺れ、国家間の勢力均衡を図ると称して軍事力を増強し、大国との軍事同盟をもって安全保障政策と称する、平和とは相反した政策のことではないのか?
軍事力の保持によって、仮想敵国との勢力均衡を図ろうとすれば、無限の軍事力拡張の悪循環を生むばかりではないのか?
人間の愚かさよ。
世界の歴史をながめても、戦争屋が戦争を始める前にやることは、決まっている。
敵の戦力の大きさを煽りに煽って、
矢や鉄砲や戦車や軍艦や戦闘機を狩り集め、
敵の先制攻撃を受けたとデマを流し、
それを口実に、自衛だと称して攻撃開始、戦線を拡大する。
事実、北朝鮮の核実験やミサイル発射を境に、内閣支持率は上がっている。
国内問題をそっちのけで、支持率回復できるのだから、一石二鳥だ。
人間の愚かさよ。
戦争とは、平和の暁を破って、突如起こるもの。
しかも、現代には、核兵器という悪魔の最終兵器が存在するのだ。
戦争ができる法整備や軍事力が整ってしまえば、いつ、どんな指導者が現れて、戦争に突っ走ることがないとは、誰も言えないのだよ。
今のアメリカや北朝鮮が、その見本のようなものだ。
それでも、あなたは時の政府に一票を投じますか?
本来、私は、政治向きの人間ではない。右翼でも左翼でもない。
ただ、人間の自由と平和を欲する者です。
それなのに、こんな言葉を投げかけなければならない。
それだけ、事態は切迫しているということだ。
みなさん、誰彼に流されず、本当に自分の頭で考えてくださいよ。
- 作者: 坂口安吾
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これは、「堕落論」等の作品で知られ、荒廃した戦後日本のオピニオンリーダーとして活躍した坂口安吾のエッセイである。
このエッセイは、朝鮮戦争の勃発により、日本に陸上自衛隊の前身である保安隊が創設された1952年、時を同じくして「文学界」10月号に発表された。
今こそ、戦争の本質を知る上で、大切なことを教えてくれる、示唆に富んだ作品。
是非一読をおすすめする。
以下の青空文庫のサイトから、無料で読むことができる。
眠れない夜 泉谷しげる
このライブのメンツがすごい。
泉谷しげるのこの曲は、立派なロックですよ。
それでは、最後の曲になります。
この曲は、古井戸というグループの曲。
仲井戸麗市と加奈崎芳太郎のユニット。
甲斐よしひろのカバーでお送りします。最後まで聴いてくださいね。
ポスターカラー 甲斐よしひろ