こんばんは。デラシネ(@deracine9)です。
本日は、脚本家・山田太一の世界。ドラマ「早春スケッチブック」PART3、完結編です。
- 前衛芸術の奇才・寺山修司との交友。
- 寺山修司への嫉妬と焦燥。
- ドラマによって甦った青春。束の間の再会と別れ。
- 忘れられないサブプロットの人物と名場面の数々。
- ドラマを盛り上げる小室等の音楽。
- あとがき
前衛芸術の奇才・寺山修司との交友。
山田太一さんが「早春スケッチブック」について語るとき、最初に話すのは、友人だった寺山修司とのエピソードである。
寺山修司を知らない方のために、簡単にその人物を紹介する。
寺山は、青森県出身の歌人、エッセイスト、作詞家、小説家、劇作家、映画監督など、あらゆるジャンルで数々の国際的アワードを獲得し、60年代のカリスマとして君臨した。
また、横尾忠則らと「前衛演劇集団・天井桟敷」を主宰。
60年代「天井桟敷」は、唐十郎の「状況劇場」、鈴木忠志の「早稲田小劇場」と並び、アングラ演劇の御三家として知られた。
横尾忠則などと共に時代の寵児であり、現在のサブカルチャーの根源を創り出した人物である。
代表的な作品だけを並べてみてもー。
戯曲には「大山デブコの犯罪」「毛皮のマリー」
エッセイには「家出のすすめ」「書を捨てよ、街へ出よう」
小説には「あゝ荒野」
映画には「ボクサー」「田園に死す」「さらば箱舟」
作詞には「時には母のない子のように」「戦争はしらない」
「あしたのジョー」「力石徹のテーマ」…
などなど、とても書き尽くせないほど膨大な作品群を残している。
早熟の天才であり、前衛という名が、最もふさわしい芸術家だった。
TERAYAMA WORLD|寺山修司公式ーテラヤマ・ワールド
山田太一さんは、早稲田大学で寺山修司と同級で、出会ってまもなく親友になった。
毎日会っては書物について語り合い、別れては手紙を書き、書いた翌日に互いの手紙を読み、それからまた文学や哲学の議論に耽る、といった交友だった。
二人の書簡は書籍となって、現在読むことができる。
編者は、山田太一さんである。
それにしても、この二人のような友人関係は、まったく奇跡としか言いようがない。
しかも、その後の生き方や作品がまったく相反している。
一方は非日常性を社会に投げつけた前衛で、一方は日常を描いたホームドラマの書き手である。
どういう繋がりが二人を結ぶ導線であったのか、それがわからない。
ずっと以前から、その疑問が私の中にはあった。
だが、下の市川知郷さんの記事の山田さんの言葉を知って、それが氷解する想いがした。
「彼と付き合ったことで、自分が何かであることがよくわかった。」
寺山修司という媒介者によって、山田太一さんはより深く自分を知ることができたのだ。
この本を読めば、二人の交友が、いかに濃密であったかがわかる。
手紙の多くは、寺山が当時不治の病であった、ネフローゼという腎臓病に罹患したため、入院先から出したものである。
寺山はすでに死の覚悟を決めたようであった。
しかし、当時開発されたばかりの新薬によって、奇跡的に恢復した。
寺山の闘病中、山田さんはかけがえのない友として寺山を支えた。
このとき、山田太一という友がいなければ、その後の寺山修司という存在はなかったかもしれない。
こう考えると、ほんとうに人の縁というものは不思議なものだ。
寺山修司への嫉妬と焦燥。
病が癒えると寺山は、大学在学中すぐに歌人として頭角を現した。
その後は戯曲やラジオドラマの脚本でも世間の注目を浴びる。
芸術関係の仕事で多忙を極め、大学も行かなくなっていた。
山田太一さんは、卒業後、映画会社の松竹に入社した。
そして数年。
助監督として修業の身であった頃、ショッキングなことが起きる。
寺山が、篠田正浩監督作品の脚本家として、松竹に出入りするようになったのだ。
すでに歌人、劇作家として高い評価を得、多くの著名な文化人と交流があった。
そこで、松竹から脚本家として声が掛かったのだ。
後年、その事実に言い難い焦燥を覚えたことを、山田さんは書いている。
だが、山田太一という作家が、芸術の神様の恩寵を受けていることは間違いない。
学生時代は寺山修司という天才肌の友を得て、自身の知力、感性を鍛えられー。
入社した松竹では、巨匠・木下恵介監督に気に入られ、付きっきりで脚本の口述筆記をやらされる、という幸運に恵まれた。
その後、山田太一という脚本家は、テレビドラマの世界では唯一無二の存在となる。
それも、寺山修司という、類い稀なる友がいたからに違いない。
寺山修司: 天才か怪物か (別冊太陽 日本のこころ) Amazon
ドラマによって甦った青春。束の間の再会と別れ。
寺山修司と「早春スケッチブック」の話に戻ろう。
ドラマの放送される数年前から、寺山は肝硬変で入退院を繰り返していた。
だが、その合間も創作への情熱は少しも衰えを感じさせず、死に急ぎの感があった。
放送が始まると、一話が終わるごとに、自分の仕事を放ったらかして山田さんに電話をかけてきて、ドラマの感想を語った。
「オレを書いたな」。
寺山は、自分が沢田竜彦で、
山田さんを、望月省一だと思っている。
だが、それは山田さんには心外なことで、
自分の中にも沢田竜彦(山﨑努)は存在するのだと反論した。
山田さんは、病の寺山を案じて、沢田竜彦は最後には死ぬんだ、と打ち明けた。
寺山は、それを納得している様子だった。
先ほど紹介した「寺山修司からの手紙」。
「山田太一・編」となっているが、この書物の上梓の取っ掛かりを作った方がいる。
寺山修司の死までの十六年間を、公私にわたり共に生きた、田中未知さんという女性である。
この方が、山田太一さんに許可を得て、書物は2015年に出版された。
田中さんは、劇団「天井桟敷」の創立メンバーで、音楽家。
寺山・作詞の、カルメン・マキが歌った「時には母のない子のように」の作曲をした方である。
この書のあとがきに田中未知さんの文章があり、最晩年の寺山と過ごした日々を綴られている。
その主たる話題が、「早春スケッチブック」にからまるエピソードである。
そこから、引用させていただく。
なんども繰り返す沢田のことば
「おまえら骨の髄までありきたりだ。ありきたりのことを言うな。」
このことは、
習慣化された社会にどっぷりつかるな、
一つの眠りの中ににおちいるな、
外から押しつけられた存在形式そのものになりきるな、
都市の人口の過半数が「仮想生」を装う死者でしめられているんだ、
死者が背広を着ているのさ、
と皮肉な言い方で揶揄して来た寺山の想いに重なってきます。
「寺山修司からの手紙」所収。
田中未知「過去から現在、現在から未来」より。
ドラマにこんな場面がある。
沢田竜彦が、かつての恋人・都に二人の思い出を語る。
竜彦「県庁の前の通りでキスをしたことがあったね」
都「忘れたわ」
竜彦「通勤してくる連中が、おどろいてよけたり、照れて笑ったりした」
都「つまらないことをしたわ」
(中略)
竜彦「ああいう連中は、本当には生きていない気がしていた」
通勤の人々の映像で
竜彦の声「幸せだと思ったり、真面目に生きていると思ったり、自分をいい人間だと思ったりしている。
しかし、本当に幸せかといえば、ただ自分の中の不幸を見ないようにしているだけ。
真面目に生きているつもりが、実は成り行きで生きている。
他のことをする活力がないだけ。
いい人間のつもりが、流れからはずれた奴には平然と冷たかったりする。
山田太一「早春スケッチブック」より。
竜彦のセリフは、まさに寺山の言葉が具象化されたものと言えないだろうか?
以下も、前述の田中未知さんのエッセイにあるエピソードである。
放送が終わったあとの四月、渋谷で西ドイツ映画祭が開かれた。
寺山は、このとき夕方の六時から講演を依頼されていた。
講演後、寺山と田中未知さんは会場の廊下で、バッタリ山田夫妻にでくわした。
夜遅いのに、寺山は自宅に寄って行けと二人を誘った。
すると、あまりに躊躇なく夫妻が同意したので、田中さんは驚いたという。
自宅に着くと、みんなお腹を空かせていたので、田中さんは慌ててカルボナーラを作った。
そこで、四人での晩餐となった。
山田太一夫人の石坂和子さんと寺山は旧知の仲で、山田さんより先に寺山が好きになった人だったという。
(「寺山修司からの手紙」所収。田中未知「過去から現在、現在から未来」より。)
このエピソードは、まさにドラマのラストを想起させる。
その三日後、寺山は倒れ、翌々日還らぬ人となった。
葬儀の日、寺山への弔辞を読んだのは、山田太一さんだった。
このドラマの放送を期に、二人の二十歳の頃のような濃密な交友が始まり、四ヶ月後、寺山の死で終わりを告げた。
二人の運命的な出会いと別れが、そこにはあった。
胸病めば わが谷緑 ふかからむ
スケッチブック 閉じて眠れど
寺山修司・歌集「チェホフ祭」より。
この短歌は、寺山が学生時代に詠んだもの。
山田さんは、当時の親友である寺山の、この短歌を読んだに違いない。
寺山修司の歌集を読んでいて、フッと思ったのだった。
この短歌が、このドラマのタイトルに繋がったのではないか、と。
無意識であったにせよ、こういうことは起こりうる。
今年、私はヴィム・ヴェンダースの映画「PERFECT DAYS 」についてブログに書いた。
これは、そのときに知り得たエピソードである。
脚本を書いた高崎卓馬さんは、主役の「平山」という名前を何気なく付けたそうだ。
そうしたら、あとで「平山」は「東京物語」の主役を演じた、笠智衆の役名であることに気づいた。
「東京物語」はヴィム・ヴェンダース監督が尊敬してやまない、小津安二郎監督の代表作。
この事を高崎さんがヴェンダース監督にショートメールで伝えると、ふふふと返事があったそうだ。
世界でいちばん孤独な夜に~寺山修司のことば集 (だいわ文庫)
忘れられないサブプロットの人物と名場面の数々。
このドラマを観ていると、いま一度、感じさせられることがある。
何より大切なのは、プロセスであり、ディテールなんだと。
ぎっしりと詰まった台詞の素晴らしさも、ピッタリと役にハマったキャストによって、輝きをかち得ている。
これは、シナリオを読んで頂ければ、さらに味わい深い。
ドラマのテーマと重なる場面は、もちろん素晴らしい。
それは観た方が十分に感じられると思う。
竜彦が、息子の和彦に語りかける言葉。
生きるってことは、自分の中の死んでいくものを、くいとめるってこったよ。気を許しゃあ、魂も死んで行く。筋肉も滅んで行く。脳髄も衰える。何かを感じる力、人の不幸に涙を流すなんて能力も衰えちまう。それをあの手この手を使ってくいとめることよ。
竜彦が、和彦の妹・良子に語る言葉。
そうさ。なんだっていいんだ。なにかを好きになって、細かな味も分かって来るということは、とても大切なことなんだ。そういうことが魂を細やかにするんだ。マンガでもロックでも、深く好きになれる人は、他のものも深く好きになれる。
竜彦が、都と和彦の前で、都の想いを代弁して語る言葉。
ありきたりが何が悪い? 無数のありきたりに耐えなければ、子供なんて育てられない。生活というものは、平凡でありきたりなものだ。
竜彦が、和彦と良子の前で、望月家の主人・省一の偉さを語る言葉。
昨日、お父さん、そこで仕事の電話を二本かけたんだ。会社と、お得意さんへね。
声を使い分けて、お得意さんには、一生懸命愛想よくしていた。それ聞いてて、ああ、こうやって、お父さんは、和彦と良子ちゃんを育てて来たんだな、と。
(以上、大和書房刊・山田太一「早春スケッチブック」より引用。)
アウトサイダーである竜彦が、望月家の人びとへ投げかける言葉は時に野蛮で邪険だが、やさしく相手の立場に寄り添い語るときは、こうも気高く気品に溢れている。
こんな沢田竜彦の言葉に、若かった私の心はずいぶん育てられたし、救いともなった。
これらのセリフを読むだけで、そのとき受けた感銘が新たになる想いがする。
だが、竜彦を演じる山﨑努だけではない。
このドラマでは、沢田竜彦という異質な存在が目立ち過ぎて、なかなか気づきにくいが、竜彦以外の人物も、魅力にあふれている。
サブプロットで登場する人物が、とても素敵だ。
それぞれの人物の角度から、味わい深く観ることができる。
ここでは役柄ごとに、忘れられない名シーンを振り返る。
①望月良子(二階堂千寿)
山田太一さんには、娘さんが二人ある。
そのせいか、和彦の妹である良子の台詞がとてもリアルで、いきいきしている。
良子は、父・省一の連れ子で、沢田竜彦とは血の繋がりもない。
そのために相反する価値観で対立する、望月家と竜彦との間を取り持つ媒介者の役割を果たす。
最初は喫茶店で、のちには竜彦の屋敷で、良子と竜彦は会話をする。
おませで、ちょっぴり大人びていて、機転のきく受け答えをする。
そんな良子が、竜彦には可愛くて、おもしろくて、仕方がない。
竜彦は、さんざん周囲の大人たちをからかい、翻弄してきた男だ。
そういう男が、この子に押され気味になる。
そういう自分が、おかしくてしょうがない。
良子の明るくて、邪気の無い一言一言に、参ったという感じになる。
この役を自然体で演じきった、二階堂千寿さんは本当に素晴らしい。
それに、良子と竜彦の場面で流れる、小室等の音楽が素敵で、シーンを盛り上げる。
誰しもが絶賛するのが、初めて会話をした良子と竜彦が、住宅地周辺を散歩するシーンだ。
ここは、山田さんの脚本では、ト書はほとんど書かれていない。
フジテレビの演出家・河村雄太郎さんが膨らませ、ドラマを一層魅力的なものにした。
特に素晴らしいのは、坂道を歩いて行く途中、こな雪が降るシーン。
立ち止まる良子の手のひらに、雪が舞い落ち、溶けてゆく。
それを良子は見つめる。
そして、先を歩く竜彦が上着の襟を首に被せる仕草を真似て、あとからついて行く。
このシーン、雪を降らせたのは河村雄太郎さんの演出だった。
だが山田さんは、これが演出とは知らなかった。
いいシーンだと天も味方するんだなぁ、と山田さんが言うと、河村雄太郎さんがこの事を打ち明け、ドラマの放送以来、初めて知ることになる。
(2005年に出たDVDの特典映像で、河村雄太郎さんが山﨑努さんと山田太一さんの対談の進行役をする中の会話で。)
良子のシーンでは、もうひとつ好きなところがある。
良子にとっては義理の母親である都(岩下志麻)とのシーン。
良子は、竜彦の病状を心配して、竜彦の恋人だった都に問いかける。
良子「お母さんは、それでいいの?」
都「いいって?」
良子「お父さんが機嫌直せば、あの人のことは、どうでもいいの?」
都「フフ、良子も、大きくなったね(と嬉しく涙ぐむような気持ちと、あの人のことは諦めているのよ、という淋しさのまざった思いでいう)」
山田太一「早春スケッチブック」より。
このシーンは、とにかくシナリオの力である。
セリフのあとに、(かっこ書き)で、心情や表情などのニュアンスを十分伝わるように書かれている。
これは脚本の随所にあって、こういう気持ちで言ったんだなということが明瞭になる。
このかっこ書きの中身だけでも、シナリオを読む価値がある。
②三枝多惠子(荒井玉青)
物語の冒頭、和彦(鶴見辰吾)と妹・良子(二階堂千寿)の前に現れる不良少女。
彼女は、孤独である。
兄は刑務所に入っていて、父は病気で寝たままである。
望月家の賑やかなしゃべり声が響くシーンのあと、
ワンカットだけ、孤独な多惠子のシーンが挿入される。
寒空の下、夜の沿線沿いのベンチ。
スカーフを巻いて、ひとり、タバコを吹かしている。
家に帰りたくない…。
自分の居場所がない…。
それがいつか良子の友人になり、良子の頼みで、沢田竜彦の家事を手伝うようになる。
竜彦は、多惠子を見ていると、若い頃の自分を思い出す、と話す。
そして、ひねくれていた若い頃の思い出を、多惠子の前でひとり語りする。
竜彦の話を聞くうちに、多惠子は、心を開いていく。
特に記憶に残るのは、次のシーンだ。
竜彦の病状を心配して、和彦と良子が竜彦の屋敷を訪ねて行き、多惠子と4人で紅茶を飲む。
竜彦は、多惠子に紅茶を注いでくれと頼む。
だが、和彦や良子の前では、多惠子のねじくれた態度はなおらない。
「おまえ注げよ」
と、良子に押し付けようとする。
だが、竜彦に、
「いやあ、あんたが注げ」
と、ピシリと言われる。
和彦と良子は、ハッとする。
一瞬の間の後、多惠子はおとなしく、注ぎ始める。
多惠子の変貌ぶりに、和彦と良子は驚いて目を見張る。
竜彦「そうだ。あんたは、まだ若い。人とつき合うスタイルを変えることは、いくらだって出来る」
多惠子「(注ぎ始める)」
竜彦「いまのあんたは、つっかかった口しかきけない。人と口をきくと、すぐつっかかちまう。無論本当につっかかりたいならかまわんが、本心は、もっとなごやかにしゃべりたい。そういう時もあるんじゃないか? 本当の気持ちが表に出ない。どうしても、ねじくれちまう。」
多惠子「ー」
竜彦「俺も、そんなことじゃ随分苦労した。自分をもて余した。いまだに、そういうところがある」
多惠子「ー」
竜彦「だから、あんたを見てると、一緒に騒ぎたい」
(中略)
多惠子「お砂糖入れる?(どきりとするほど、優しくいう。目は伏せている)」
山田太一「早春スケッチブック」より。
多惠子は、もうずっと、バイキンを見るような目で、世間から扱われてきた。
だが、竜彦だけは、多惠子と同じ視線で、自分を見て話をしてくれる。
これで心を開かないはずはない。
人の心を育てる仕事に携わっている人は、是非観てほしいシーンだ。
③新村明美(樋口可奈子)
売り出し中のモデルで、竜彦の恋人。
樋口可奈子さんも、当時は素晴らしく魅力的な、売出し中の女優さんだった。
ドラマに出てくる「写楽」という雑誌は、実際に発売されていたので、私も知っていた。
その人が、どんな演技をするのかと、興味があった。
観ていると、いろんな場面で、その時々にふさわしい表情や言葉遣いができる。
本当にその美しさといい、演技力といい、この役に見事にハマっていた。
新村明美も、望月家と沢田竜彦とのあいだを繋ぐ媒介者である。
忘れられないシーンは数多い。
たとえば、竜彦の屋敷で和彦と三人での晩餐のあとに、カセットテープの音楽で、竜彦と踊るチロルのダンス。
竜彦を入院させようと、真意を悟られないようごまかし、必死に説得する場面。
竜彦の屋敷に酔って現れ、あげくに竜彦に抱えられ外に追い出される場面。
先に紹介した、田中未知さんは、ご自分と新村明美の役を重ねて観ていたそうである。
余命いくばくもないというのに自分で命をケアーしようとしない男の身勝手さ!
残される女の気持ちなど考えたことがあるのだろうか。
恋人明美の気持ちも、当時の私の想いそのままだったのです。
前掲所収。田中未知「過去から現在、現在から未来」より。
ドラマを盛り上げる小室等の音楽。
竜彦の屋敷を、和彦と都が訪れ、一夜限りの晩餐となる一幕。
都の夫・省一が、それを認めたので実現した一夜だった。
だが、最後には竜彦が本音をぶちまけ、省一の小市民性を罵る。
言い合いのあげく、都は和彦を連れて逃げるように屋敷を出て行く。
一人になった竜彦を、突如、激痛が襲う。
カセットテープに入れていたモーツァルトのキリエ・エレイソンが始まる。
竜彦は、もがき苦しむ。
電話線を頭に巻き付け、手当たり次第に救いを求めて手をのばす。
竜彦は、必死でテーブル掛けをつかむ。
晩餐のために用意した料理が、テーブルの敷布と共に雪崩れ落ちる。
そして、この荘厳極まりない曲の終わりとともに、この回は大団円を迎える。
このキリエ・エレイソンは、脚本にはない。
演出のために選んだ、モーツァルトだった。
これを選んだのが小室等さんなのか、演出した河村雄太郎さんなのかはわからない。
だが、いずれにしても、鬼気迫る山﨑努さんの演技との相乗効果で、見事なエンディングだった。
竜彦と新村明美。
竜彦と望月都。
竜彦が二人の女性と向き合うとき、バックで流れる音楽。
このときの、小室等のメロディがまたよいのである。
せつなく、哀切で、竜彦とめぐり逢った宿命のようなものを感じさせる。
このドラマを通して、小室等の音楽はとても素晴らしかった。
冒頭のテーマ曲もそうだし、劇中の伴奏もだ。
出しゃばり過ぎることもなく、音が必要な場面で、ここぞというところで、素晴らしい音楽が聴こえてくる。
よいドラマには、欠かせない要素となっていた。
あとがき
まだまだ、このドラマの魅力は語り尽くせない。
それぞれのキャラクター、役者さんの魅力は、サブプロットに限ってしまったが、河原崎長一郎さんも、岩下志麻さんも、鶴見辰吾さんも、いくらも語っていない。
まだ読み足りないということであれば、いくらでも書き加えたい気持ちである。
山田太一さんのドラマについて、本格的な評論というのは、まだ数少ない。
もっともっと、評価されてしかるべき作家だと思う。
本当の評価は、時代を待たないといけない?
そんなことはない。
そのためには、TBS 、NHK だけでなく、残っているフィルムがあれば、各局はどんどん出して放送してほしいと思う。
これを書いている途中、いろんな興味が新たに湧いて、ずいぶん寄り道をしたくなった。
たとえば、山田さんが言われる小市民批判の文学や哲学とは、どれを指すのだろうとか、
寺山修司との関係性をもっと知りたいとか、
山田太一作品とニーチェの関わり合いだとか…。
ニーチェからの影響ひとつをとっても、ものすごく興味深いものがある。
しかし、山田さんは、大げさな物言いを極力嫌われる方であったので、著作ではそういうことに、なかなか言及されなかった。
だから、なおさらのこと、まだまだ研究される余地があるだろう。
そして、最後にー。
私は少しでも多くの若い方がこのドラマを観て、本当の自分というものに気づきを得ることができたなら、と願う者である。
この作品は、現代の人びとに、必ず感銘を与えうると信じている。
作者の山田太一さんをはじめ、この作品に携わった、すべての方に、お礼を申し上げたい。
こんな素晴らしい作品を作って頂いて、感謝しかありません、と。
そして、ここまでお読み頂いた読者の皆さまには、厚くお礼を申し上げます。

