MIDNIGHT HERO

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中国四大奇書「水滸伝」。国家に抗う者たちの砦・梁山泊の物語。

 こんばんは。デラシネ(@deracine9)です。

本日は、中国四大奇書「水滸伝」の日本版ドラマ化作品をご紹介します。

野望、砂漠に果つ

日本発のドラマ「水滸伝」。

近頃は、おもしろくないニュースがあふれている。

ロシアのウクライナ侵攻、新型コロナウィルスの再拡大、株価暴落、少子高齢化の進展、香港の言論弾圧…。

 

数え上げればキリがない。

日本、いや世界は、沈没船、泥舟であろうか?

「猿の惑星」のエンディングが、現実のものとなる日が来るのだろうか?

 

そういう時に、1973年日テレで製作されたドラマ「水滸伝」が配信されているのを知った。

内田敦夫演じる豹子頭林冲を主人公とした、日本発のドラマである。

 

当時、私は小学生で、親父と並んで観ていて、強く印象に残っている。

今から考えれば、とにかく豪華キャストで相当の制作費を要し、全編海外ロケだったという。

 

26話を一気に観て、現代の世相を思った。

 

今も昔も、変わらねえなぁ、世の中は。

 

「腐敗混濁の世に容れられず」なんて言う陳腐な芥川隆行のナレーションが、ホントだよな、と腑に落ちる。

 

原作とは異なり、元近衛軍師範の正義漢・林冲と、悪政を為す近衛軍長官・高俅(こうきゅう)がドラマの柱軸を成しているが、それはそれで面白い。

必殺の矢

右が高俅(佐藤慶)。

水滸伝 DVD-BOX

中国四大奇書「水滸伝」。

原作は、中国の古典「水滸伝」。

中国・宋の時代、湖の畔に巣食う英雄豪傑の物語を、古来、中国の民衆は好み、語り継ぎ、施耐庵という謎の人物がこれら伝説を取りまとめ、一巻の書に仕上げた。

 

「水滸伝」は中国四大奇書のひとつ(あと3つは三国志演義、西遊記、金瓶梅)に数えられる。

 

中国文学の中でも、三国志に劣らぬ人気物語。

日本では、今も北方謙三などの書き手が、新たな解釈を加えリライトし、ベストセラーになっている。

 

江戸時代の戯作者・曲亭馬琴が、この書の影響下に「南総里見八犬伝」を書いたことはよく知られた事実だ。

 

物語は、百八つの妖星を封じ込めた伏魔殿の扉を、皇帝の代官が開けてしまうところから始まる。

まさにギリシャ神話でいうパンドラの匣であり、里見八犬伝の八つの玉である。

核の時代を生きる私たちに、迫ってくるエピソード。

ドラマ「水滸伝」で、印象的な回があったので、紹介する。

 

政府高官となった高俅は、勢力を増してきた梁山泊の殲滅作戦を展開するため、高名な大砲の製造技師を都に呼び寄せ、武力鎮圧をもくろむ。

 

技師の息子を科挙試験に合格させてやるというエサで釣るのである。

 

しかし、道中の危難を梁山泊に救われた技師と息子は、巨悪を憎む同志の気概に心をほだされ、大砲の製造技術を梁山泊側に伝えることになる。

 

それを知った高俅は、技師を奪還するため梁山泊に攻め込むが、その大砲を使った反撃に、見事に撃退されてしまうのだ。

 

ところが、大砲の殺傷能力の高さに圧倒された梁山泊の林冲は、その製造技術を記した要の設計図を焼き払ってしまう。

 

曰く、このような恐ろしい殺人兵器を人間が持ってはならない、という理由で。

水滸伝 二十話 親子砲の最後

もちろん、このようなエピソードは、原作にはないであろう。

ドラマの制作過程で、新たに付け加えたものに違いない。

 

このドラマは、敗戦後40年を経たずに放映された。

当時、原爆の脅威は、まだまだ人心に深く刻まれていたのだ。

 

それを遡る1955年、黒澤明の映画「生きものの記録」が公開された。

アメリカのビキニ環礁での水爆実験で被曝した、第五福竜丸のニュースを受けて制作された映画である。

生きものの記録 黒澤明

生きものの記録 - YouTube

武器よ、さらば。

ここまで言えば、私が何を伝えたいかはお判りだろう。

梁山泊の立場からすれば、圧倒的優位に立てる殺傷兵器を捨て去ることは、自分達を不利にするだけである。

 

しかし制作者は、それをあえて行わせる事で、命の尊さに重きを置く英雄像を示してみせた。

ドラマの殺陣の、数多くのチャンバラでは多くの人が死ぬが、それはドラマの決まり事だからだ。

 

私的には、このようなエピソードを加えた制作スタッフに、敬意を表したい。

 

この立場だけが、戦争を無くす手段である。

誰がなんと言おうと、これは真実だ。

ただ、自由と平和、平等を守る事にのみ、人類の叡智は使うべきなのだ。

 

ウクライナのロシア軍への抵抗は、大量殺戮への抗議として、認めたい気持ちはある。

 

しかし、もともと武器を持たないという黄金律を持つ唯一の国、日本がわざわざ武装する必要は無い。

栄光ある憲法9条を、変改する必要は無い。

 

武器を持てば、人は殺し合う。

武器の無いところに戦いは無い。

 

隷属、服従、支配はあっても、殺し合いは無い。

それらを強いる国家や民族は、人とは呼べない鬼畜だ。

 

武力をもって戦えば、そいつらと同等に成り下がる。

私は、それを拒否することが、人間の誇りと尊厳だと思う。

 

武器よさらば (新潮文庫 ヘ 2-3)

武器よさらば (新潮文庫 ヘ 2-3)

 

もうひとつ。

 

武力を持たなければ、侵略者の行為は戦争犯罪となり得る。

しかし、武力を持って対抗すれば、相手に防衛という戦争の名目を与えるだけなのだ。

 

闘いは、言論で行うべきである。

それが議会制民主主義の基本なのだから。

 

武装を煽る政治勢力は、私の信条とはまったく相容れない。

だから私は安倍晋三や日本会議、百田直樹らが嫌いなのだ。

 

そのような意見はリアルでは無い、と非難することは簡単だ。

現実はそうはいかない、と。

 

だが、現実的なのは、政治家だけでたくさんだ。

私のような人種までもが、現実に屈服するのは馬鹿げている。

生きものの記録

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