こんばんは。デラシネ(@deracine9)です。
本日は、パンデミックに思う神の不在 PART 2 をお送りします。
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コロナ禍のうちに、受験シーズン真っ盛りの季節を迎えた。
寒波とともに、学生諸君には、試練の冬であろう。
君たちは、若い。
失敗を、怖れることはない。
何度でも、また立ち上がることができる。
超えてゆけ、そこを。超えてゆけ、それを。
拓郎が歌っているよ。
人生を語らず 吉田拓郎
本題に入ろう。
学問の神様、菅原道真。
福岡県太宰府市にある、太宰府天満宮。
学問の神様とされる菅原道真が祀られている。
道真と言えば、平安時代、政敵・藤原時平の讒言によって、太宰府の地に左遷された悲運の人物として知られる。
死後は、都に怨霊として現れ、時の権力者に大いに怖れられた。
その道真の霊を祀るため、都には、現在の北野天満宮が創建された。
これが全国各地にある天神様の起源である。
以上の事は、歴史の教科書的な知識として、ご存知の方も多いだろう。
では、道真はどんなかたちで怨霊の姿を現したのだろう?
そして、どんな祟りを及ぼしたのだろう?
今回は、パンデミックにおける神の不在 PART 2 。
日本人の道徳意識の変遷を、平安時代の貴族社会を例として考えてみよう。
怨霊の出現。
899年。菅原道真は、醍醐天皇のもと、 右大臣に任命される。
学者の家柄である菅家からのこのような出世は、極めて異例の人事だった。
しかし、道真の後ろ盾であった宇多上皇が出家すると、道真は中央政界で孤立を余儀なくされる。
すると、たちまち皇位を転覆しようとしているとの嫌疑をかけられ、太宰権帥(だざいごんのそち)という位に落としめられ、九州の太宰府に流されてしまう。
道真は、配所の地で困窮した生活を強いられ、左遷から二年後の、903 年に世を去った。
それからまもなく。
ある夜、天台座主(天台宗比叡山延暦寺の筆頭僧のこと)尊意の房(御座所)に道真の霊が現れた。
霊は、道真の報復を怖れる左遷の首謀者達が、尊意に行わせていた修法(いわゆる加持祈祷、お祓い、厄除けの秘法)を止めるように、要請した。
しかし、尊意はそれを断ったので、怒った霊は勧められた柘榴を口に含み吐きかけるや、柘榴から火の手が上がり、妻戸が焼かれた。
尊意は直ちに験刀で火の手を消しとめた。(北野天神縁起)。
そしてまたある日。
宮中清涼殿に、雷神が襲った。
居並ぶ者の中で、藤原時平ひとりが太刀を抜いて雷神と戦った。(「大鏡」時平伝)。
その後、時平は重病に陥り、僧・浄蔵を呼んで祈祷をさせた。
そこに浄蔵の父・三善清行が居合わせたところ、時平の両耳から蛇の頭が現れ、道真の声で祈祷の中止を訴えた。
浄蔵が祈祷を止めて退出すると、時平はたちまち息絶えた。(「扶桑略記」所収「浄蔵伝」)。
その後、時平の子孫は、相次いで夭逝し、時平の家系は途絶えた。(「大鏡」)。
冥界からの叫び。
923年。醍醐天皇の従兄弟・右大臣、源公忠が頓死して、三日後に蘇るという事件が起きた。
公忠は、冥府で道真公と対面し、醍醐天皇への怒りの声を聞き、蘇生した。
醍醐天皇は それを知ると、道真の官位を復して「正二位」を贈り、さらに年号を「延喜」から「延長」に改めた。(「江談抄」)。
930年。またも宮中清涼殿に落雷があり、死傷者が出るという事件が起きた。
清浄なる宮中に死者が出たことに衝撃を受けた醍醐天皇は病臥し、その三ヶ月後には崩御された。(「北野天神縁起」)。
これらの偶然の事件の積み重ねにより、道真の怨霊は、火雷神と見做されるようになる。
941年。平将門や藤原純友の乱が起き、宮中が大混乱していたその頃。
日蔵上人(道賢)なる者が、息絶えたのち、十三日後に蘇生するという事が起きた。
日蔵上人は、冥界の首領となった菅原道真に会い、地獄めぐりをした。
道真は、現世の災害や合戦などの災厄は、自分の支配下の悪神どもが起こしていると言った。
それから日蔵上人は、道真を左遷させた罪で懲罰を受けている、醍醐天皇や臣下にも会い、現世を救うための法要を懇願された。(「扶桑略記」所収「道賢上人冥途記」)。
その後も道真の怨霊は、生きた人間の口を借りて、神殿を作るように託宣を述べた。
これが、北野天満宮の始まりとされることになった。
平安朝の貴族社会を襲う、荒ぶる神々。
この話の初めの方で、藤原時平の話をした。
この男が、道真を追放した罪科を少なくも感じ取り、気に病んでいたという証拠がある。
それは、道真の報復を恐れて、あらかじめ比叡山延暦寺トップの僧侶に、怨霊退散の祈祷を依頼し、実行していた事である。
それはすなわち、死後の霊の報復を、心底恐れていた証である。
つまり、時平にとって、死んだ道真の報復は、妄想でも気の迷いでも無く、紛れもなく時平の心中に存在する、死霊への恐怖であったのだ。
歴史上に怖れられた日本の怨霊は、菅原道真だけではない。
崇徳上皇や平将門など、国土に祟りを為したとして畏怖された怨霊は、その後の歴史にも登場する。
神々への畏れを失くした時代。
そして、令和の時代。
現代社会は、科学技術と文明の進歩によって、多くの謎を解明してきた。
その反面、謎のヴェールに包まれていた、多くの神秘を、白日のもとに晒した。
しかし、この世界の神秘はさらに深まるばかりで、未知の領域は消えるどころか、否応無しに増えるばかりである。
然るに、多くの人間たちは、この世界のすべての事柄は、人間の叡智によって解決できると、とんでもない勘違いをするようになった。
今、上司に追い詰められ死を選んだ部下の祟りを怖れる者が、存在するだろうか?
山口県のとある政治家は、どんなに厚顔無恥の大嘘を非難されても、恬として恥じるところがない。
その男は、公文書改ざんで自殺した男の怨霊に悩まされることも無く、相も変わらず 嘘をつき続け、政界に居座ろうとしている。
想像するに、その男のアイデンティティは、明治維新を成し遂げた長州の政治家の末裔だという、その一点に過ぎない。
その程度の知識と教養の人物をもって、日本の舵取りをやらせてきたのだから、日本人のお人好しには呆れるばかりだ。
幕末に生きた長州の志士達は、このような不出来の破廉恥漢を末裔に持った事を、あの世で大いに慨嘆しているに相違ない。
菅原道真の飛梅伝説。
道真には、もうひとつ、有名な故事がある。
左遷が決まって任地に赴く前、道真は、自邸・紅梅殿で大切に育ててきた梅の木に向かい、歌を詠んだ。
東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ
その後、この梅の木は、道真を慕って太宰府の地へ 飛んで行ったという。
これもまた「北野天神縁起」にある逸話である。
その木が、太宰府天満宮には実在する。
元は、道真の配所に在ったものを、道真の墓所であった寺の跡に、太宰府天満宮が造営されると、その本殿前に移植されたという。
しかし、ここにも付けたりがあって、実際は、道真に縁の者が旧邸の梅の木を株分けして、その苗木を太宰府の地へ持ってきた、とも言われる。
この後日譚は、歌舞伎や人形浄瑠璃の「菅原伝授手習鑑」の主題に取り入れられ、現代も上演される著名な演目のひとつとなっている。
飛梅 さだまさし
こちらは、ライブ・バージョン。
初期のさだまさしは、名曲が多く、秘かに好きだった。
他に「私花集」というアルバムもよく聴いた。
現代人における想像力の欠如。
前回に続き、繰り返し言うが、私は、道徳教育を行えとか特定の宗教を信ぜよなどと言っている訳ではない。
また、過去の迷信を、復活せしめんとしているのでもない。
ここまで見てきたように、悪事を為せば天によって誅罰されるという自然な計らいが、素朴な信仰によって、人間の心に生きていた時代があったのだ。
しかし、その信仰は過去のものとなり、現代人は、それに替わる新しいモラルを持っているとは言い難い。
神々の死によって、日本人の素朴な道徳的感情に、ポッカリと穴が空いた。
そのモラルの消失に乗じて、この十年ほどで、大日本帝国時代の神祇信仰を復活せしめんとする動きが活発になり、政治に大きな影響力を持ってきた。
そして、ネトウヨ、ネット右翼という奇形の政治活動家が登場した。
だが、そんな時代の波に呑まれてはいけない。
個を大切にする、新しいモラルのあり方を求めて闘わなければ、世の中はよくなるはずがない。
太古の昔にも増して、世界は不可思議な謎に満ちている。
しかし、現代人の想像力は次第に貧困になり、この世界の裏側に潜む神秘を感じ取る能力が、薄れてきているのではないだろうか?
現今のパンデミックにしても、そうである。
過去の歴史を振り返れば、新しい疫病は、繰り返し繰り返し、人びとを凄惨な悲劇に巻き込んできた。
だが、マスメディアも政治家も、この21世紀、令和の時代に厄病が流行るとは、夢にも思わなかった、という騒ぎ方である。
これも、現代の医学の力で、屈服させる事のできないウィルスなど想像もしていなかった、という証ではなかろうか?
それにしても、この局面にあって、政治家は、存在意義を疑われるような無能ぶりをさらけ出している。
まったくの機能不全に陥っていると言っても過言ではない。
第1波が終息した後、コロナ対策に逆行するGoTo 事業を延々と続け、第2波、第3波を甘くみ過ぎた結果が、現在の感染爆発ではないのか?
未知の世界の扉を開け。
話を元に戻す。
今も、世界は謎に満ちている。
現代人がアニメやゲームに求めている、不可思議な魔法の世界は、知性のアンテナを高く掲げ、感性を豊かに保つならば、自分自身で、いくらでもつかみ取ることができるものだ。
そのために、多くの文学作品や映像芸術、音楽芸術、美術、歴史的文化財、各地に残る歴史的遺構などは、あなたの目の前にある。
その扉を開けば、そこからくみ取ることができる新しい物語が、あなたを待っている。
それは、自分が興味を注られた、ひとつの対象との、邂逅から始まる。
出会いは出会いを呼び、やがて、自分だけの知見というものが、生まれ出る。
そこから、個たる人間の尊厳に基軸を置いた、新しいモラルが生まれてくるのではなかろうか?
knock, and it will be opened to you.
叩けよ、さらば開かれん。
「新訳聖書・マタイ伝」より。
これは私の学生時代、学舎(まなびや)の壁に彫られていた言葉である。
Knockin' on Heaven's Door Bob Dylan
記事の参考としたのは、上掲のほか、以下のとおり。
「北野天神縁起説話の成立過程」 笠井正昭
「日本奇談逸話伝説大辞典」所収「菅原道真」竹居明男