これまで、五篇の短編小説をブログに書いた。
ここらで、読んでくれた皆さまへの感謝をこめて、創作の舞台裏を少々お話したい。
自画自賛の鉄面皮。
おこがましいが、何か小説らしきものを書いてみたいと思っている方への、ヒントともなれば、幸い。
「Fin 」について。
中森明菜という歌い手は、彼女自身の人となりに、自身の楽曲を重ね合わせ、悲しいくらい自分のものとしている、稀有な存在だ。
憑依型という形容があるが、彼女もまた、この表現に、よく当てはまる。
彼女の歌を聴いていると、歌の世界そのものが、彼女に思えてくる。
中森明菜の半生と、彼女を演出した楽曲には、意図的な共犯関係がある。
報われない愛に狂い、悲しみの底に堕ちてゆく、女の情念そのものの化身となって、中森明菜というメタ・フィクションは成立した。
そんな中森明菜の世界から湧き出てくるイメージは、ごく短いモノローグこそふさわしい。
「Fin 」の歌詞の「手でピストル真似て涙をのむ」という愛憎ウラハラな言葉。
そして、彼女の「二人静」という楽曲のなかの「殺めたいくらい愛しすぎたから」という激しすぎる情念の言葉。
このふたつの詞が、この短い散文詩の最後を飾る。
「爪を噛む癖」。
普通なら、不潔で子供じみた仕草と、嫌がる女も多いはず。
それを、起承転結の「起」と「転」に用いたことで、ストーリーが生まれた。
短編小説は、「転」のアフェアがキモである。
永遠の歌姫。
中森明菜は、私の心に、そうあり続ける。…