こんばんは。デラシネ(@deracine9)です。
本日は、女性ロック・ヴォーカリストの特集をお送りします。
1曲目。
デビュー当時、ガールズ・ロック旋風を巻き起こし、一世を風靡した相川七瀬。
夢見る少女じゃいられない 相川七瀬
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デビューに至るまで、すべて織田哲郎のプロデュース。
大阪でガソリンスタンドのバイトをしながらヴォイストレーニングに通う日々を経て、一躍スターダムにのし上がった。
この「Red」というデビューアルバムは、初登場1位、270万枚のダブルミリオンを記録した。
21世紀になろうかというこの時期が、一番CD が売れた時代ではあったけれども、それを差し引いても、まったく完成度の高さは今聴いてもズバ抜けている。
レンタルショップ全盛の時代で、滅多なことではCD を買わなかった私でも、これは買いだったね。
4枚のシングルとアルバムの曲が小気味よく構成されて、アンチ・ブリっ子路線は大当たり、よいこ嫌いの小生には胸のつかえがおりる気がしたよ。
織田哲郎は、オーディションで見出した中学生の相川七瀬(命名も織田哲郎。)を、作詞・作曲・アレンジ・演奏はもちろん、アーティストのイメージ作りから売り出し戦略まで、すべてを手掛け、ひとりの少女をロックアーティストとして、大成功へと導いた。
まさに、夢見る少女じゃいられない、大ブレイク劇だった。
相川七瀬といえば、デビュー当時、そっくりだった(?)PUFFYの吉村由美を思い出す。
当時、PUFFYも大いに売れていて、ダウンタウンの番組(「HEY HEY HEY 」)で、しゃべりが下手だといじられまくる。
トーク番組「パパパパパフィ」をやってみろと松本人志にいわれたところが、瓢箪から駒で、他局のテレ朝で、同名タイトルの冠番組をやることになった。
まさに、しゃべりは素人娘のガールズトークの域を一歩も出なかったが、売れていれば何でもありの業界体質、そこは抜け目がなく面白いバラエティに仕上がっていた。
毎週ゲストが登場するのだが、それに出た相川七瀬。
PUFFYとは大の仲良しで、現代っ子のやんちゃぶりも面白く、三人娘のゆる〜いトークが新鮮であった。
光陰矢の如し、時の流れは早いもので、あれからもう20年余りが流れ、相川七瀬もママさんロッカーだ。
これが私の生きる道 PUFFY
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PUFFYは、井上陽水が作詞、奥田民生の作曲、プロデュースによる「アジアの純真」で、1996年デビュー。
この曲は 2ndシングルだが、ビートルズへのオマージュが曲のあちこちに仕組まれ、ポップな初期のビートルズ・サウンドを彷彿させる。
奥田民生ならではのポップンロック。
「She loves you 」「Day Tripper 」を聴いてみて。
相川七瀬とPUFFYの吉村由美が、テレビで当時を語っていた動画を見て思った。
90年代とは、いわゆる20世紀末。
20世紀が終わろうとする時代に、バブル崩壊、地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災が立て続けに起こった。
その頃、青春だった彼女たちに、時代が影を落とさないはずはない。
どこか刹那的で、今が楽しけりゃそれで良いみたいな気分で、何でもやってしまう。
その昔、「ノストラダムスの大予言」という本が大ベストセラーになったが、1999年でこの世は終わる、という内容の終末思想は、大嘘つきだと思ってはいても、どこか、この時代の空気を支配していたような気がする。
また、1990年代末は、2000年問題というやつが、マスコミでも大きく取り上げられ、暦が2000年代に変わることによるコンピュータの誤作動、それに伴う社会の混乱が危惧されていた。
(実際には何も起こらなかった!)
いつ経済が崩壊し、大災害やテロが人命を奪うかもしれず、この世の終わりがやってくるかもしれない、となれば、人心は荒れ、刹那的、退嬰的思想を生み出す。
時代の空気をいち早く受け止めるのは、いつの時代でも若者たちだ。
もはや純愛などという言葉は古い書棚の中に押し込められ、時代のリアルはカノジョ、カレシの恋の大冒険時代となり、欲望は肥大化し、不景気にも関わらず、ブランド品もCD も飛ぶように売れる。
夜回り先生こと水谷修さんが夜回りパトロールを始めるのも、やはりこの頃である。
いい子がクスリや援助交際などの悪事を働き、悪い子が親兄妹想いでマジメにバイトに精を出す、まさに世も末、明日なき青春模様に彩られた時代であった。
その中にあって、相川やPUFFYは、まさにラッキー・ガール。
ドブの中から咲いた、数少ないシンデレラ・ガールだった。
終末思想の諸相。19世紀の世紀末。
かつて、歴史上にも、このような終末思想がはびこる時代があった。
「世紀末」とは、もともと、主として19世紀終わりの爛熟した西欧文化の思潮を指す言葉で、デカダンス、耽美主義、ダダイズム、スノビズム、神秘主義、悪魔主義などなど、ヨーロッパ全体に、百花繚乱の芸術が生まれた。
そこには統一的な概念は無いが、世紀の時間的区切りとともに、繁栄から退廃へと移行していく漠然とした虚無感や絶望感が、芸術文化の時代思潮となったものだった。
1893年に出版されたオスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」の挿画。
ビアズリー・作。
ユダヤの王女サロメは、宴の席で時の王ヘロデに、踊れば何でも望みのものをやろうと言われ、獄中にいて自分の求愛を拒んだ洗礼者ヨハネの首を望む。
この話の原典は、新約聖書にある。
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日本の貴族社会を襲った「末法思想」。
日本で「末法思想」が吹き荒れたのは、平安時代後期である。
それは、インド・中国を経て日本にもたらされた仏教思想の落とし子。
釈迦が誕生し、その正しい教えが世で行われ、修行して悟りをひらく人がいる時代が「正法」。
次に来るのは、は教えが行われても、外見だけが修行者に似るだけで、悟りをひらく人がいなくなる時代「像法」。
その次が、人も世の中も最悪となり、正法がまったく行われない時代、すなわち「末法」が来る。
それが末法思想という歴史観である。
日本で、末法元年は1052年とされた。
享楽の浮世を謳歌した平安貴族の時代が終わりに近づく。
それまで貴族の番犬であった武士が擡頭して、勢力を拡大していた。
仏教にいう末法の時世を迎え、予言が当たったように、災害や疫病が蔓延する世の中がやってきた。
貴族たちは浄土教の教えにすがった。
死後は極楽浄土へ生まれ変わる事を夢見て、寺院や仏閣を建立した。
あの有名な平等院鳳凰堂が出来たのは、末法元年とされる1052年のことだ。
浄土教の思想はいたって簡便なもので、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えさえすれば、極楽浄土に行けるというものだ。
その教えは次第に庶民にまで広まり、のちの浄土宗や浄土真宗などの鎌倉新仏教へとつながっていく。
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平等院鳳凰堂。
日本仏教の革命。鎌倉新仏教。
仏教は、大別すると、小乗仏教と大乗仏教に分けられる。
小乗仏教とは、いわば大乗仏教から見た区分け。
インドでゴータマ・シッタールダが開祖となって興った原始仏教は、もっぱら修行者が出家して悟りをひらくための教義であった。
それが伝播していった国々では、今も修行者のための寺院があり、彼らは自分の悟りのために修行に精励している。
しかし、インドから中国を経て日本に入ってくる宗派の中に、己れひとりの悟りではなく、一般大衆を救うための教義が生まれた。
それが大乗仏教と呼ばれる。
「大乗」とは、すなわち大きな乗り物の意味で、自分のためだけの悟りではなく、すべての人々が救われると説く開かれた教えの謂いだ。
そのため、自分の悟りに固執する宗派を蔑視的に、小乗仏教と呼ぶのである。
聖徳太子の時代から平安時代に至るまで、日本に伝わった仏教は、国の治安を良くするため、すなわち「鎮護国家」のために利用された。
その教えは、天皇家や貴族階級の権力維持のために利用された。
それゆえ、必然的に小乗仏教的なものが伝えられ、民衆に開かれたものではなかった。
平安時代の浄土信仰に始まる鎌倉新仏教は、日本宗教史上の一大革命であった。
(結果的に、貴族階級を襲った末法思想が、多くの信仰を一般大衆にもたらす鎌倉新仏教を生み出すきっかけとなったのだから、これは歴史の皮肉であろう。)
しかしながら、鎌倉新仏教以前より存在した宗派の中でも、同時代に律宗の叡尊や華厳宗の明恵などの優れた僧侶が出た。
そのため、彼らが大いに崇敬の対象となったことも確かで、旧仏教改革派への再評価も行われている。
ちなみに、仏教の経典とは、御釈迦様が残された考え方の中でも、これが本当の教えである、という言い伝えの解説書のようなもの。
一千年以上にわたり書き継がれ、その数は何千、何万巻ともしれない。
つまり、御釈迦様が亡くなってから、これが御釈迦様の本当の教えだという編集会議が開かれ、口頭で伝えられて来たのがそもそもの始まりだ。
その後、仏教が伝播する過程で、流派が枝分かれを重ねに重ねた。
これこそが真実だという教義の解説書が、流派の数だけ書かれたものである。
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現代も生きている日蓮宗。
鎌倉新仏教の中でも、日蓮宗(法華宗)を興した日蓮は、浄土宗や浄土真宗の「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」というお念仏を唱える経典(浄土三部経)には与しなかった。
そして、法華経こそが、真の経典であると説いた。
「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」とお題目を唱えることが、本当の仏教の教えに帰依する事だとした。
日蓮という人は、日本の宗教家では、とりわけユニークな人だった。
その著書「立正安国論」などで、ほかの宗派を徹底的になじった。
真言亡国。(真言宗は、国を滅ぼす元となる。)
禅天魔。(禅宗は、天の魔物が説く教義である。)
念仏無間。(念仏を唱える浄土宗や浄土真宗を信じれば、無間の地獄に落ちる。)
律国賊。(律宗は、国家を滅ぼす大敵である。)
また、当時の鎌倉幕府に対し、「法華経」以外の他宗を重んずれば、国内には内乱が起こり、国外からは侵略を受けると脅迫した。
その超攻撃的な教えのために、他の宗徒から家を焼かれたり、幕府によって伊豆や佐渡ヶ島に流刑にされたりと、波乱の生涯を送った。
その教えは、今も創価学会や立正佼成会などの教義の源流となっている。
公明党は、申すまでも無く、創価学会を母体とした政党だ。
21世紀の今も、日本では、政教分離が常識とはなっていないのである。
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この曲は、相川七瀬を始め、たくさんのシンガーにカバーされている、もはやスタンダードナンバーと言っていいだろう。
NHK の「Covers 」で、井上陽水が湯川れい子の歌詞を激賞していた。
ちょっと場末のシネマしてるね
これは、ちょっと書けない歌詞だね。
まったくもって、感服するしかない。
幕末の動乱と「ええじゃないか」。
時は、江戸時代最後の一年、1867年。
「天から御札が降ってくる」という噂に端を発し、民衆が仮装して囃子言葉に「ええじゃないか」を連呼して、熱狂的に町々を練り歩くという騒動が起こった。
日本のあちこちで、人びとは「ええじゃないか」を連呼しながら踊り狂ったのである。
この不可思議な民衆の狂的乱舞に、未だ定説はない。
幕末に大きな足跡を残した公卿・岩倉具視の日録によると、12月、明治政府の発した「王政復古の発令」を境に、この騒動は終熄したという。
このような歴史的事実はなにを語るのだろう。
その時代に生きた人びとは、永遠に続くはずと思っていた江戸幕府が、いとも簡単に崩れ去ったありさまをみて、この世が夢まぼろしのごとく映ったのだろうか。
江戸時代は、およそ二百五十年にわたって太平の世を貪った。
その時代を生きた庶民は、未来永劫、続くと思っていた世界の崩壊に、半ば理性を失わずにはいられなかったのかもしれない。
今を生きる私たちも、この世界の目まぐるしい変動に翻弄されつつも、すべてのモラルや社会秩序が、一瞬のうちに崩壊するとは誰も思ってはいないだろう。
そして、たとえ何かが起こっても、自分だけは大丈夫だとタカを括っているのが人間なのではないだろうか?
ボブ・ディランが歌うように、時代は変わる。
既成の秩序やモラルが、遅かれ早かれ崩壊する時がやってくる。
そのいつかがやってきた時、私たちは、再び集団発狂に見舞われることがないと断言できるだろうか?
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週刊朝日百科86 日本の歴史 近世から近代へ-6 世直しとええじゃないか 新訂増補2004年2月1日
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次の曲は、80年代No.1 の女性ヴォーカリスト、NOKKO。
CHEAP HIPPIES レベッカ
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1986年リリース。
このアルバムも、よく聴いた。
トータル・アルバムとして、完成度は極めて高い。
前作の「Meybe Tommorow 」で大ブレイクしたREBECCA 。
80年代にあって、女性ヴォーカリストを擁したバンドとしては、異例の人気と実力を兼ね備えたバンドだった。
同時代の女性ヴォーカリストたちは、NOKKO に強烈なライバル心を燃やしていたが、時とともに、そんな声はしぼんでしまった。
REBECCA は、すでに時代の頂点にいた。
信仰とは何か?
レベッカというと、バンド名をどこから取ったのかと気になるが、その答はWikipediaに垣間見える。
20世紀初頭のアメリカの小説から取ったものらしい。
その後、イギリスの作家・デュ・モーリアが「レベッカ」というミステリー小説を書き、アルフレッド・ヒッチコックが、ハリウッド進出の第1作として映画化したことで、有名になった。
しかし、この名はすでに「旧約聖書」の「創世記」に出てくる。
アブラハムの息子・イサクの妻となった女性の名前で、レベカ(英語読みでレベッカ)はうっとりさせる者、という意味らしい。
イサクの父・アブラハムは、神に命じられ、そのいけにえに、息子・イサクを差し出した。
神は息子を利用して、アブラハムの信仰を試したのだ。
イサクは存命し、アブラハムはイサクの嫁探しを下僕に言いつけ、見つけたのが絶世の美女・レベッカであった。
アブラハムの下僕に水を与えるレベッカ。
オウム真理教の登場により明らかになった、日本人の宗教観の脆弱性。
こんな話を見聞きすると、あのオウム真理教事件をリアルに体験した世代は、いささか身ぶるいを禁じ得ないのである。
日本人は無宗教だとは、よく言われることだ。
仏教があるではないかと思われる方もいるだろうが、それは徳川幕府が檀家制度という人別帳を下々に押しつけんがために作った仕組みである。
その名残りを引きずって、大方の日本人は生活に必要な儀式として受け入れているだけで、熱烈な信仰があるわけではない。
それは、現在も多くの国で、キリスト教やイスラム教を熱く信仰し、生活の糧としている人びとが大勢いる事を思えば、すぐに気づくことだろう。
かといって、日本人には信仰らしきものが片りんもないとは言えない。
オウム真理教の起こした事件を顧みると、まるきり宗教などとは縁遠かった理数系のエリートたちが、あまりにも容易に信仰という名の悪魔的で非人間的な狂気の行動に走ったのは、なぜだろうか、と誰しもが思った。
しかし、逆から考えれば、普段から信仰というものに遠く、免疫の無い日本人は、だからこそ、いざとなると怖ろしい事も平気でやってしまうのだと思う。
信仰とは、すなわちその人の生きるヨスガ、よって立つ人生そのものであるはずだ。
なにがしかの価値観によって、初めて人は生きられるはずである。
戦後の日本人には、それが大切な家族であったり、人生のすべてを打ち込める仕事であったり、家庭にも等しい企業の利益追求であったりした。
それらは、おおむね、日本人の常識やモラルに寄り添ってきたがために、信仰という言葉では呼ばれない。
だが、いったん、それらの価値観を相対化し、なんでもないじゃないかと思わせる強烈な思想や宗教に出会ったとしよう。
それが、松本智津夫の説く大ペテンであったとしても、それまで従来の常識やモラルに何の疑いも持たずに生きてきた者たちは、たちまち釈迦の手のひらで弄ばれる孫悟空の運命に会うに違いない。
盲目的観念に理知的懐疑をもたらす、言語芸術の役割。
そのとき、大きな役割を果たすのが、文学や演劇を始めとする言語芸術だろう。
言葉とは、それが発せられた瞬間に、それを放った者を離れ、放った者をも相対化する。
そこに生まれるのが、言葉に対する理知的解釈や懐疑である。
それは、本当なのか、間違ってはいないのか、嘘をこしらえてはいないか、相手の言葉は無論のこと、自分の言葉に対しても、考え、疑う。
理数系のエリートは、実験や検証の結果、白か黒の真実のみを信じて生きてきた人たちだ。
そこには、中間の色がない。
己が考えることについての、省察や懐疑が生まれてこない。
だから、かくも容易に、ペテン師のワナにハマってしまうのではないか?
常識やモラルを疑い、白と黒のあいだを読み取る力があったなら、人殺しを正当化する、子どもだましのロジックに、引っかかるわけはない。
常識やモラルを信仰とせず、怪しき信仰を常識やモラルだと勘違いしないことだ。
なぜ… Hysteric Blue
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なぜ? と疑問を持とう。
今回は、相川七瀬から始まり、世紀末思想、仏教、キリスト教、宗教と文学などに触れてきた。
ここまでくると、そもそも宗教とは何のために存在してきたか、という問題に入っていかない訳にはいかない。
少なくとも言えるのは、宗教が生まれた背景には、人類誕生からの壮大な歴史があり、その中から育まれていったということ。
なぜ、人間は神を必要としたか?
それは、人間と宗教とを考える上での永遠のテーマだ。
疑問を提示することは、すなわち答えを見い出すための、必要不可欠な作業である。
だから、本来的には、疑問を見い出す能力こそ、まず磨くべきもの。
あらゆる事に、疑問を持とう。
そして、本当にそうなのかを自分の頭で考えよう。
たくさんの書物や映画やお芝居は、そんなことのためにもある。
誰々が言ったから、信じるんじゃないよ。
ものごとの本質に即して考えよう。
それが、ほんとうの、人間の知恵というもの。
それでは、最後の曲。バイバイ。