こんばんは。デラシネ(@deracine9)です。
本日は、家族の歌と題して、お送りします。
それでは、1曲目。
チューリップの、この曲から。
僕のお嫁さん チューリップ
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家族の歌、と言いながら、お嫁さん、で入るという、これは意外だったろう(笑)。
演歌を除いて、バンドで歌詞に「お嫁さん」と出てくる歌が、ざらにあるとは思えない、画期的な歌ですね。
天才・財津和夫の面目躍如。
こんな、シンプルな歌が、今はなかなか、ないですよ。
私は、もう生きた年数より死を迎えるまでの時間が確実に短い、老人だから、そう思うのだろうが、これは、いい歌だよ。
今、出せば、この曲流行るかな。
時代の試金石みたいなもので、これがジャリ歌だと片付けられると、老い先短い身の上としては、ちょっと寂しいな。
こんな平凡な幸せが、夢のようだなんて、つぶやく若者は悲しいよ。
マイホーム主義だって、こういう曲を聴くと、まあ許せる気がしてくるな。
しかし、我が家の幸福が一番であることは、一般市民の永久普遍の真理であるだろうが、芸術家はそうはいかないからな。
芸術の美は所詮、市民への奉仕の美である。
太宰治「葉」
芸術は、社会の常識や既成のモラルを破壊する。
壊すことによって、時代の流れと合致しなくなった社会通念に疑義を唱え、その反逆自体に新しいモラルを生み出し、時代とはズレた常識を再構築する役割を果たしている。
本物の芸術家は、それがゆえに、世間からはみ出し、自分を破滅への道に追い込み、荊棘の道も敢えて辞さない、そういう気概を持っている。
自分の成功に甘んじ、気休めにチャリティや寄付などで自分をごまかし、安逸に耽り、自分の殻から抜け出そうとしない…。
そういうアーティストを、私は真の芸術家とは認めない。
しかし、私はエンターテイメントを否定するつもりはない。
己れの力で立身出世を果たし、一般市民に娯楽と教養を与え、その道で成功するという事は、並大抵のことではない。人として立派なことだ。
ただ、芸術ではないのだよ。アーティストではないのだ。
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家庭の幸福は諸悪の本。
太宰治 「家庭の幸福」
太宰治のこの言い草は、芸術家であるゆえの言葉だよ。
次の曲。
拓郎は、芸術の本質とするところを逆説的に歌っている。
望みを捨てろ 吉田拓郎
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家庭の幸福が、なぜ、諸悪の根源となるのか?
我が家だけは、妻と子だけは守りたいなら、望みを捨てろ、という。
つまりは、アーティストを生きざまとしたいのなら、家庭の幸福のようなものに安住してはいけない、ということだ。
なぜかと言えば…。
家庭の幸福を享受するには、世間の常識や既存のモラルに従って生きざるを得ない。
だから、社会における芸術の役割を果たす者となる資格はない。
芸術は、社会の常識や既成のモラルを破壊する。
壊すことによって、時代の流れと合致しなくなった社会通念に疑義を唱え、その反逆自体に、新しいモラルを生み出し、時代からズレた常識を再構築する役割を果たしている。
本物の芸術家は、それゆえに、世間からはみ出し、自分を破滅への道に追い込み、荊棘の道も敢えて辞さない。
坂口安吾が、若き日に、不幸にならなければいけないよ、というささやきを、我が身の声として聞いたのも、それに通じる。
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不幸を通してしか、見えないものがある。
はみ出し者は、世の中の不幸と、その痛みがわかる。
社会の歪みや旧態依然の体質が、アウトサイダーには見えるのだ。
しかし、芸術家たらんとして、芸術家であることをあきらめた者は星の数ほどもいる。
それほど、普通の幸せをみずから放棄するのは、困難なことなのだ。
男と女が出会い、愛し合う。
やがてふたりは、家庭を築き、子供を育てる。
そこには、他者を思いやる余裕はない。
妻と子だけでも、守って行くことは大変なのだ。
Mother John Lennon
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「自分は、母親を二度失った」。
これは、ジョンの有名な言葉だ。
父・アルフレッドは船員で、滅多に家に帰らず、母・ジュリアは他の男と同棲していたため、幼いジョンは、叔母のミミの元で育てられた。
しかし、16歳になったとき、母・ジュリアが近くに住んでいることを知ると、ジョンは頻繁に母に会いに行くようになる。
しかし、その翌年、ジョンが17歳のとき、ジュリアは交通事故であっけなく亡くなってしまった。
二度失くした、というのは、養子に出されたときと、母が死んだときである。
両親の愛に飢えていたジョンだから、「愛こそすべて」と叫び続けたのだと思う。
これほど、胸を打つ、魂の叫びのような歌を、私は知らない。
多くのアーティストたちが、ある時期から、良いものが書けなくなる。
突如、そうなる。
なぜか?
そういう時期のアーティストは、いわば、飢えを失くしている。
成功によってもたらされた、讃美と追従の言葉に満たされ、家族を持ち、幸せボケになっている。
かつて世に出た頃の、全人格をかけて、苦しみや哀しみの中から作品を生み出したときにはあったはずの、魂の飢えや渇きを失った者に、優れた芸術作品は創り得ない。
再び輝きを取り戻す者は、稀である。
ニーチェは言っている。
みずからの血をもって書いたものでなければ、人を感動させることはできない、と。
文学者と家庭生活。
偉大な文学者でも、家庭を持った者は大勢いる。
夏目漱石、森鷗外、芥川龍之介、太宰治、坂口安吾、みな妻帯者であり、子供がいる。
しかし、幸福な家庭生活を過ごしたと言える者は、ひとりもいない。
夏目漱石は、実の親から疎まれて養子に出された。
養父母の家庭はゴタゴタ続きで、実父と養父の対立などを経て、ようやく産まれたときの戸籍の夏目の姓を名乗ることになった。
自分の家庭においても、妻のヒステリーで苦しめられ、神経を病んだ。
「こころ」「それから」「門」など、漱石の小説を読めば、家族や肉親への愛憎が主として描かれている。
家族の愛情に恵まれた家庭人とは、言い難い生涯だった。
森鷗外は、意外なほど自身の身辺についての小説を書いている。
すでに処女作の「舞姫」からして、自分がドイツ留学中に孕ませた娘を棄てた、実体験に基づく話だ。
若くして文壇に登場しながら、陸軍の軍医であった鷗外は、そういう二足の草鞋を履くエリートとして上役から嫌われた。
あげく、九州の小倉に左遷されたりし、しばらく文壇から遠ざかる事になる。
長い沈黙のあと、文壇復帰作と言える「半日」という小説を発表する。
それは半ば事実に基づくもので、鷗外は自分が二度目の妻と実母の嫁姑の確執に、さんざん苦しめられた経緯を生々しく描いている。
その頃、鷗外には、最初の妻との短い結婚生活でもうけた長男・於菟(おと)がいた。
鷗外は、再婚同士で十八歳年下の、二番目の妻・志げを溺愛した。
お嬢さん育ちのわがままな嫁、鷗外を女手ひとつで育てあげた男勝りの実母、前妻の子の同居する複雑な家庭を、家長として、子として、夫として、父として、努めなければならなかった。
そこでも鷗外は、最初の妻のときと同様、暖かな家庭とは言い難い、不穏な波風に苦しめられた。
芥川龍之介は、熱烈な恋愛の末、妻・文(ふみ)と結ばれた。
結婚後の一年が、芥川にとっては人生で最も幸福だった時期と言われる。
しかし、所詮、結婚生活などが芥川の救いになるはずもなかった。
結婚は、くびきとなり、芥川を苦しめ始める。
芥川の死後、遺稿として世に出た「或る阿呆の一生」には、「結婚」の章がある。
女性というものへの幻滅が、結婚当初から始まっていた事を窺わせる文章である。
晩年の芥川の作品には、別の女の影があちこちに散見される。
もはや、芥川を引き留めるものは、なにものでも無くなっていく姿が痛々しい。
太宰治は、はっきりと炉辺の幸福を、自ら放棄するところから、真の芸術家たらんとした、稀有の作家だ。
文学の道を志し、「晩年」という作品集を置き土産に、芸術に殉じようとした疾風怒濤の青春期、身も心も敗残の身となった太宰だが、その後、一度は生活と芸術の両立を試みた。
見合い結婚をして家庭を持ち、市民の暮らしを立てて行こうと決意した。
それには、時代の流れが加担していた。
時は日中戦争、太平洋戦争へと突入して行き、すでに平凡な日常というものが、日本に生きるすべての人間から根こそぎ奪われていたのだ。
太宰にとって、平凡な日常をすべての人々が失った以上、自分だけが非日常の世界を生きてゆく、必然性が失われた。それゆえの妥協であった。
だが、その間も、内なる芸術家としての自負が、心中にくすぶっていた。
しかし、敗戦を迎えると同時に、再び軸は反転する。
敗戦により、それまで沈黙していた文化人たちが、一斉に時代に迎合した態度を取るのを見て、太宰は、新しい日本の姿を夢見る作風から一変し、何も変わらない時代への幻滅を作品へと転化してゆく。
戦争の時期にたっぷりと蓄えた筆力を猛然と発揮し、時代の寵児たりうる優れた作品を次々と生み出しながら、芸術家の使命をまっとうせんがためと、心に決したかのように、一路、滅びへの道を辿って行く。
坂口安吾は、晩年にいたるまで、漂泊と放浪の生活を送った。
それも、太宰同様、みずから意志した、芸術家としての悲願のためであった。
戦後間もない日本がようやく立ち上がろうとする昭和21年、「堕落論」「白痴」「二流の人」などの作品を相次いで発表し、時代の寵児となった。
昭和24年、酒場で知り合った20歳年下の三千代と、事実上の結婚生活に入る。
だが、アドルム中毒で入院したり、税金不払いで蔵書や原稿料などを差押えられたことで国税局と争ったり、競輪の不正を検察庁に告発したりと、安吾の奔放な生活は、ほとんど変わることがなかった。
50歳近くにして初めて子供ができたとき、安吾は檀一雄と信州旅行中で、幻覚症状を来たし暴行で留置され、そこから釈放されたばかりであった。
皮肉なことに、長男・綱男の誕生で、安吾の中に、親心というものが初めて芽生えた、その翌年、安吾は脳出血で倒れ、還らぬ人となった。
芸術の神様が、そこで終わり、と言わんばかりの死に様であった。
次の曲。
これは、 母への想い歌った、名曲中の名曲。
秋桜 山口百恵
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嫁ぐ娘の、母親への愛情を歌って、これに勝る曲はないと思う。
曲もいいが、なんと言っても、山口百恵が素晴らしい。
作ったさだまさしが歌うと何の感動もしないのに、山口百恵が歌うと、これほど洗練されるのか、と思ってしまう。山口百恵は、やはり素晴らしい。
次は、父親の唄。
おやじの唄 吉田拓郎
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動画の冒頭、拓郎が家族について語るのが、おもしろい。
拓郎は、「ファミリー」という曲が母親に、あなたは私を捨てるのか、と言わしめたと語る。
親父なら、わかってくれただろうと言うその曲を、ここで聴いてもらおう。
ファミリー 吉田拓郎
父性と母性の違い。
父親というのは、男にとって永遠の仇みたいなもので、若い頃には、到底理解できないものだ。
死んで、初めてその存在の大きさに気づくようなところがある。
また同時に、父親の、我が子に対する心境は、なかなか複雑なものだ。
いつのまにか、人の子に過ぎなかった自分が親となり、たいていまごつくのは父親の方だろう。
女は、子を産むと同時に、母となり得るが、男はそうではない。
早々に女から母となった妻に対し、身の置き場がないような気がするものだ。
男は、子を持ってからも、孤独を愛する。
女は、母になってのちは、子への愛情だけで満たされるようなところがありはしないか。
それが、父性と母性の違いなのだろう。
男は、子を持っても変わらぬ放浪精神を持ち続けて行くが、女なるものは、グレートマザーとなり、母という偉大な生き物になるのだ。
母親は嫌うが、親父ならわかってくれるだろうという拓郎の「ファミリー」の詩の感じ方も、そんな違いから来ているのだろう。
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続いて、家族を歌って秀逸な曲を2曲。
LICENSE 長渕剛
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鹿児島に生まれ、同郷の吉田拓郎に憧れて、福岡へ。
中洲のバーや飲み屋で弾き語りを始める。
「照和」のステージに立った頃から、大きく頭角を現し、デビューを果たす。
とにかく若い頃から、この男のバイタリティと負けず嫌い、是が非でも登りつめてやる、という一本気はすごかった。
そんな彼の原点とも言える故郷・鹿児島での暮らしが、この歌に圧巻のリアリティを持たせ、聴く者のハートを揺さぶる。
ライセンスというタイトルが、東京でいっぱしのシンガーになった彼の、カーライセンスだとは、誰も思いもよらない。
その取ったばかりのライセンスで、故郷の親父とおふくろを羽田まで迎えに行く。
それは、ただの車の免許ではない。
泥臭く愛しかつ憎んだ故郷・鹿児島を、その手で振り払い、超えて生きて来たことの証(あかし)としての、ライセンスなのだ。
家族 小山卓治
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一人の少年の眼で、身内の者の生活の風景を、みずみずしい感性で映し出す。
父と母、兄、姉、それぞれが抱えている人生の重さを、肉親の愛を込めて語ったあと、少年は目の間に広がる人生という荒野に向け、ひとり歩き出す。
そんな映像が浮かんできそうな、素晴らしい歌だと思う。
小山卓治の曲の中でも、最高のナンバーだ。
それでは、本日はこの辺で。おやすみなさい。