こんばんは。デラシネ(@deracine9)です。
本日は、J・ロックの隠れた名曲。PART2ということで、お送りします。
それでは、1曲目。
Angel Duster The Street Sliders
- アーティスト: THE STREET SLIDERS
- 出版社/メーカー: Sony Music Direct(Japan)Inc.
- 発売日: 2014/04/23
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音に色気がある、とでも言ったらいいのか、やっと日本にも、ロックの土壌が培われ、馴染んできたと感じさせる、スライダーズ。
今から思えば、1980年代は、まだ日本のロックの黎明期だった。
それ以前、ロックといえば、不良の聴くものという定義づけがあった時代、まともに売れてたのは、キャロル解散後の、矢沢永吉だけだった。
80年代に至るまで、ロックに日本語は乗らない、と言ったフォークシンガーもいたし、ロックオヤジもいた。
ロックオヤジに至っては、ロックは本場のカバーしかやらないと公言し、Johnny B. Goode ばかり歌ってたし、ロックは売れてはいけない、なんて風潮もあった。
売れっ子の音楽評論家も、概ね日本のバンドを小馬鹿にしてて、ストーンズのコピーバンドはたくさんいるが、と言ってはばからず、マイナーなパンクバンドを持ち上げては、悦に入ったりしてた。
フォークのかわりに、ニューミュージックという呼び方がされたのも、この頃だ。
アイドルロッカーとして、世良公則 &ツイストや、Char 、原田真二などが登場して、上っ面だけのロックっぽい音楽が、ビジネスとして成立するようになったためだった。
同時期に、テレビ番組「ザ・ベストテン」が始まったのが、その象徴ともいえる。
そこに登場したのが、サザンオールスターズ。
桑田佳祐が始めたのは、日本語を英語風に発音して、歌詞は意味が無くても、聞き取れなくてもOK、という歌いかた。
これならロックいけるかも、という画期的発明だった。
同じ頃、甲斐バンドが「HERO 」で、大ブレイクを果たす。
甲斐は、はっきりと日本語で歌う姿勢を貫き通した。
そこから始まった80年代は、甲斐バンドとサザンオールスターズ、この二つのバンドが二極対立するかのごとき、大きな存在感を放っていた。
当時、NHK の教育テレビ(今のEテレ)では、この二つのバンドによる若者文化論が社会学者によって、展開されたりしていた。
よくわからない、意味を持たない歌詞で、一方的な価値観を押し付けず、ネアカな感性に受け入れられるサザンオールスターズ。
ハッキリとした日本語と、メッセージ性の濃い歌詞で、聴き手への自己主張を貫く甲斐バンド。
時代は混沌としていた。
NHK市民大学「メディアの中の人間」 中野収・著(1989年4月1日発行)
2曲目。
これも80年代に大ブレイクしたバンド。
ラブ・パッション レベッカ
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この頃の甲斐バンド。どれだけ勢いがあったか、知っていますか?
たとえば、君たちがライブで盛り上がってるね。
客席からはみ出したり、前に駆け出したりはしないよね。
しかし、かつてのロックコンサートは、違った。
1979年に初めて、私が甲斐バンドを観たときには、興奮した客は客席からステージへ押し寄せる、甲斐は客席にダイブする、客と警備員は揉める。
これが普通だった。
そう、X JAPAN 状態だったんだ。
それでも今は、みんな柵を乗り越えてでもステージへ押し寄せたりしないよね。
普通に激しい曲はスタンディングで自分の席で盛り上がり、バラードのときには静かに合唱するよね。
この時代、日本全国のツアーを重ね、観客をマネジメントして、このスタイルを作り上げたのが、甲斐バンドのライブなのだ。
そこから日本のロックは市民権を得て、みんなが今、その恩恵を受けている。
よい意味でも悪い意味でも、そうなのだ。
市民権を得て、ロックは不良の占有物ではなくなった。
そのかわり、ライブは、祝祭としての、仲間意識を共有する場となった。
その功罪をどうとらえるかは、意見の分かれるところだろう。
お行儀良く、自分の座席から精いっぱいの歓声とエールを送る。
これなら、学校も、PTAも、教育委員会も、時代の流れとして受け入れられる。
私が、若い頃の X JAPAN に魅かれて、いまだにファンをやっているというのも、ロックという音楽の、原風景を見たからかもしれない。
甲斐バンドは、テレビに出ないバンドとしては異例の集客力を誇った。
新宿副都心、現在の都庁が建つ前の空き地で約3万人を動員したTHE BIG GIG。
年末の数日にわたる武道館ライブを恒例にしたのも甲斐バンド。
かつて、X JAPAN が年末の東京ドームを恒例にしてたように。
サザンは、大晦日のテレビで、年越しライブを恒例にしてたけど(笑)。
次の曲。
これは、CD化されていない。
日比谷野外音楽堂でのラスト・ライブで披露したやつ。
Warrior ECHOES
詞・曲 辻仁成
口笛を合図に攻撃が加えられた
コンクリートジャングルの Warrior
あくびはエスケイプ くしゃみはシュプレヒコール
俺たちの合図さ Warriors
Warriors Warriors Warriors Insane
落ちこぼれの俺たちは 失業者みたいなものさ
解雇される心配もないよ
組合のバッジを付けた ヒステリックな教師たちへ
教えてやろう Warriors
Warriors Warriors Warriors Insane
エコーズの歌は、甲斐バンドのテイストを多分に含んでいる。
辻仁成は、甲斐バンドを目指していたわけでもなんでもない。
だけど、ストレートなメッセージ性、自分をさらけ出して生きる、詞の世界。
甲斐バンドの初期の歌と相通じるものが多い。
それは、辻の持つ資質としか言いようがない。
甲斐よしひろは、80年代、甲斐バンドとして燃え尽きた。
今も、自分の後継者を探すように、自分のラジオ番組で彼好みのシンガーを、バンドを、歌を、求め続けている。
崩れ落ちる前に THE MODS
崩れ落ちる前に / THE MODSの歌詞 |『ROCK LYRIC』
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こんな話がある。
甲斐よしひろは、山田太一ドラマの大ファンだった。
番組で、しばしば山田太一のドラマの話をする。
「夕暮れて」という岸恵子主演のシナリオ本を、海外レコーディングに持参したとか、「早春スケッチブック」の岩下志麻がいいね、とか話すほど。
おかげで、私も山田太一ドラマにすっかり魅了された。
そして、始まったのが、ドラマ「ふぞろいの林檎たち」。
ご承知の人も多いと思うが、ドラマの冒頭から全編にわたって流れるのは、サザンオールスターズの曲だけ……。
ドラマから7、8年後、山田太一のドラマをNHK がBSで大特集を組んだ。
山田太一さん本人を交えての対談中に、甲斐よしひろ登場。
司会の八千草薫から、
「スタッフによると、甲斐さんは、独特の山田太一論をお持ちです」
と紹介されると、甲斐は作家のスティーブン・キングを持ち出して、山田太一さんに、自説を展開。
そして話題は「ふぞろいの林檎たち」へ。
感想を求められた甲斐よしひろは、
「同業者として、やっかみながら、観てました」と、いかにも口惜しそうな表情。
ところが、山田太一さんは、甲斐に同情することもなく、
「甲斐さんの歌は、言葉がハッキリ聞こえるでしょう。それだと観てる人がドラマに集中できなくなっちゃう。歌詞がわからない方がいいのね」とバッサリ。
甲斐、撃沈‼︎
実に可哀想でした。
最後の曲は、そのときの気持ちを歌ったかのような…
MIDNIGHT 甲斐バンド
最近は、スカパーで、昔の山田太一ドラマをたくさん放送するようになりました。
それで、「沿線地図」という連続ドラマを観たのですが、1979年放送のドラマで、かかってました、甲斐バンドの「HERO 」が。舞台となる電気店の店先で。
やったじゃん、甲斐さん、とひとり快哉をあげたのですが、そのうち、サザンの「気分次第で責めないで」も流れてました(笑)。
言っときますけど、私はサザンが嫌いなわけじゃないんですよ。
桑田さんも、大好きだし。
次、サザン取り上げますから、待っててください。
それでは、今日はこのへんで。お休みなさい。