大原麗子さんの生涯について、書かれた本は一冊しかない。
- 作者:前田 忠明
- 出版社/メーカー: 青志社
- 発売日: 2011/07/19
- メディア: 単行本
著者は、かつて芸能レポーターとしてテレビで露出度の高かった、前田忠明氏。
しかし、この本は、ワイドショーや女性週刊誌の芸能記事とは、およそ趣きが異なった、優れたノンフィクションとなっている。
まるで大原麗子という幽冥に入った女優の魂が、ひとりの人間を霊媒として語らせたのではないか、と思わせるような、熱が伝わってくるのだ。
したがって、大原麗子という女性の真実を感じ取りたいなら、彼女についてのあらゆる先入観を排除してかかる必要がある。
まず、この本の著者が前田忠明氏であること。
彼女についてのあらゆる芸能記事的な知識や偏見を捨て去ること。
だが、そう身構える必要はないだろう。
この書物を真摯に受け止めさえすれば、自然とそうなるだろうからだ。
この記事の目的は、その誤解と偏見に満ちた大原麗子の真実に、この本を通して少しでも迫ることだ。
- アーティスト: 大原麗子
- 出版社/メーカー: SOLID RECORDS
- 発売日: 2014/03/19
- メディア: CD
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母を楽にしてあげたい
大原麗子は、戦後まもなく、高級和菓子店を営む父と、古文の教師だった母のあいだに生をうけた。
物資不足の世情の折にも、裕福な家庭で幼少期を過ごした。
しかし、父は女の子である麗子にも何かと手をあげ、あざができるほどの暴力を振るった。
麗子と3歳年下の弟は、父の暴力に怯えて過ごした。
やがて幼い麗子に転機が訪れた。
父が店の売り子と関係を持ったために、母と家を出ることになった。
麗子はひとりで家を出るつもりの母に、一緒に連れて行ってと懇願したという。
それほど、父の暴力に怯えていた。
残ったら、殺されると思っていた。
それからは、母は昼夜働いて、麗子はひとり家で、母の帰りを待つ孤独な日々だった。
それでも、親子で伯母の家に転居したのを機会に、実家に遊びに行き、実弟の政光さんとはよく遊んだ。
とても仲の良い姉弟だった。
その頃から、すでに人前で朗読したり、学芸会で他者を演じることに快感を覚えるようになっていた。
女優としての芽は、確実に育ちつつあった。
早く自立して、母を楽にしてあげたい。
その想いとともに、中学生にして麗子は、芸能界への道を歩み始める。
やがて、 NHK の新人オーデションに合格。
それからまもなく、東映と契約。
高倉健の大ヒット作・網走番外地シリーズでのヒロイン役を務めた。
麗子は、10代後半にして、一気にスターへの階段を駆け上がっていく。
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父との確執
東映に入社して、半年ほどのことだった。
麗子は、和菓子屋の実家を訪ねた。弟の政光が、派手なメイクのまま現れた麗子の美しさに驚いていると、父が出てきた。
「お父さん、お久しぶり!」
笑顔で言った次の瞬間、父は麗子の頰を殴りつけた。
父のセリフは、そんなパンパンみたいな仕事はやめちまえ。
二度とこの家の敷居をまたぐな、というものだった。
弟の政光さんはいう。姉は、女優になる夢を叶えたことを、父に喜んで欲しかったのかもしれない。
その淡い夢は、無惨にも打ち砕かれた。
父の仕打ちは、それだけではなかった。
母の元を訪れ、今後一切、麗子に「大原」の姓を名乗らせるな、と告げたのだ。
麗子は、そんなのはこっちからお断りよ、とタンカを切ったが、デビュー直後の女優の名前を変えることに、東映は難色を示した。
父は譲らず、この件は裁判に持ち込まれた。
1年近くを経て、父は敗訴したが、この出来事が麗子をどれだけ傷つけたか⋯ 。
だが、そのときの麗子の、父を見返してやる、絶対に大女優になってやる、という気持ちが、麗子を筋金入りの女優としたのではなかろうか。
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つよく、可愛く、美しく
それからの麗子の活躍は、誰もが認めるものだった。
高倉健、美空ひばり、浅岡ルリ子、森光子、といった輝かしい名前の先輩、石井ふく子、市川崑、といった監督や名プロデューサーたちに愛され、好感度ナンバーワン女優の称号も手に入れた。
麗子の前途は輝かしい未来に彩られていると、誰もが思っていた。
しかし、その活躍の裏には、 想像を絶する努力と忍耐があった。
昭和50年、28歳のとき、ギラン・バレー症候群と呼ばれる難病を発症する。
手足の運動麻痺、歩行障害を引き起こし、国の臨床調査の対象にもなっている、この病気にあっても、治療とリハビリを重ね、わずか9か月で復帰した。
しかし、昭和53年「男はつらいよ・噂の寅次郎」の撮影中に、再発する。
このとき、麗子は渡瀬恒彦と離婚してまもなく、ひとりで撮影を乗り切るしかなかった。
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弟の政光さんによれば、麗子は、20代から寝る間もないほど働き、ギラン・バレー症候群症候群を発症してからは、運命に逆らうように、さらに仕事に打ち込むようになったという。
いつしか姉は薬に頼り出したんです。
私たちにも内緒で、二つのクリニックをうまく使って、睡眠薬、精神安定剤、抗うつ剤、副腎皮質ホルモン薬....。
私が知っているだけでも、最低これだけ飲んでいた。
三十年以上もですよ。
死に急いでいたとしか思えません。
引用はすべて、前田忠明著「大原麗子 炎のように」による。
麗子は、昭和59年、「男はつらいよ・寅次郎真実一路」で二度目のマドンナ役を演じることになった制作発表会見で、言った。
私、いつもね、『遺作だな』と思ってやっているの。
最近は特に『もし、これで死んでもいいな』と思ってやっているんです。
何が麗子をここまで、女優の道に駆り立てたのだろうか?
母を楽にしてやりたい、とがんばった若い頃から、芸道一筋に生きる姿勢は、最後まで変わらなかった。
「葉隠」を愛読書とする女優にとって、芝居は命の糧だったとも言えるだろう。
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愛を乞うひと
麗子の父、大原政武は、平成5年、胃がんで亡くなった。
麗子は葬儀に顔を出すと、本当に死んでるの、と悪態をついて帰ったという。
しかし、麗子は著者の前田氏に、こんなことをもらしている。
その顔を見たらね、涙が出そうになったの。
不思議だった。
あんなに嫌いだったのに....。
泣くもんかと思って外に飛び出したわ。
弟に涙を見られるのは悔しかったし。
家に帰ってから、ひとりで泣いたの。一生分泣いたかと思うくらい涙が出た。
- 作者:下田 治美
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 1993/04/22
- メディア: 文庫
「愛を乞うひと」。 この小説が出たのは、平成4年。
麗子は、この小説に惚れこみ、自分が演じられないかと方々に働きかけたという。
しかし、願いは叶わなかった。
麗子はなぜ、この小説のヒロインを演じたいと渇望したのだろう。
それは、主人公が、幼い頃から母に折檻を受け、自分の家庭を築いてからも、過去の呪縛から解き放たれず苦しむ姿に、彼女自身を見たからだ、と著者は推し量る。
それは、まったくその通りだったろう。
弟・政光さんによると、麗子は顔も性格も父親似で、政光さんの方は母親似だったという。
周りに嫌われても、完璧な演技を求め、演出家や脚本にもダメ出しをする頑固さと一徹さ。
共演者が大先輩であっても、納得がいかないと撮り直しを迫る暴君振り。
それは、まさに父親ゆずりのものだった。父と似て、自分も幸せな家庭を築くことは出来なかった。
憎んで憎み抜いた父だったが、本当は、心から愛されたかった。
父の死によって、麗子はそのことを知ったのだろう。
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最初の夫、渡瀬恒彦。
麗子は、渡瀬に父親のように甘えるのが好きだった。
だが、渡瀬の望む、家庭的な女になれなかったために、別れるしかなかった。
渡瀬とは別れてからも、連絡を取っていた。
渡瀬が再婚してからも、自宅に電話をかけて、疎まれるありさまだった。
麗子が高倉健と共演した映画「居酒屋兆治」。
高倉健演じる兆治を愛し、叶わなかった愛に狂い死にしていく女、さよを見事に演じた。
「愛を乞うひと」大原麗子の演技だった。
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結局、麗子が演じることを熱望した「愛を乞うひと」は、平成10年、原田美枝子主演で映画化され、その年の映画賞を総ナメにした。
麗子は、このときの心中を、誰にも漏らすことはなかった。
もし、この映画に麗子が出演していたら、どんな映画になっていただろう。
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その頃から、麗子の出演本数は激減していた。
業界での麗子の理解者は減り、扱いづらい女優、というレッテルが貼られていた。
それは、完璧さを求めるプロ意識の表れであった。
時代の吹く風は、麗子に冷たくなっていた。
長い年月に渡り、負担を強いてきた麗子の心と体は悲鳴を上げていた。
そして、ついに芸能活動の休止にまで追い込まれてしまった。
一番悔しかったのは、もちろん麗子自身だったろう....。
私が見た、大原麗子の最後の出演作は、倉本聰脚本のテレビドラマ「町」だった。
彼女の美しさは健在だな、素晴らしいな、と思ったものだった。
いつしか時は流れ、私は彼女の存在も忘れるような、煩雑な日々を過ごしていた。
彼女の訃報を聞く日まで…。
- 作者: 講談社
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/07/30
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最後に
この記事は、「愛を乞うひと 」をキーワードに、女優・大原麗子の軌跡をたどったものです。
内容については、前田忠明著「大原麗子 炎のように」を参考にさせて頂きました。
心から感謝申し上げます。
この本が、より多くの人に、愛読されることを願っております。