福岡市にある、伝説のライブハウス「照和」。
1970年に開店。二度の閉店を経て、1991年に復活、現在も営業している。
当時の面影そのままに、 西鉄福岡(天神)駅のすぐ横というアクセスのよさだ。
70年代、地元ラジオ局の深夜放送ブームの中、福岡育ちの少年少女の耳には、チューリップ、甲斐バンド、長渕剛といったミュージシャンの歌が自然に聴こえてきた。
テレビでは、海援隊の武田鉄矢がドラマ「3年B組金八先生」で役者として大ブレイクしていた。
彼らは皆、アマチュア時代、福岡市にある同じライブハウスで活動していた。
それが「照和」だった。
リバプール。
1970年代、福岡は日本のリヴァプールと呼ばれた。
イギリスの都市リバプールは、ビートルズ誕生の地として知られている。
ビートルズの登場以降、次々とイギリスのバンドがアメリカのヒットチャートを席捲し、 世界のミュージックシーンにはかりしれない影響を及ぼした。
ビートルズの 4人。
福岡でも同じような現象が起こった。
福岡の田川出身の井上陽水 (当初、アンドレカンドレの名でデビュー)。
「照和」で演奏していた武田鉄矢の海援隊、財津和夫率いるチューリップ、甲斐よしひろの甲斐バンド、やや遅れて鹿児島から出てきた長渕剛がメジャーデビュー。
70年代以降、彼らは次々と大ヒットを飛ばした。
チューリップは、「心の旅」「サボテンの花」。
甲斐バンドは「裏切りの街角」「HERO」「安奈」。
海援隊は「母に捧げるバラード」「贈る言葉」。
井上陽水は、1973年発表のアルバム「氷の世界」で、日本レコード史上初のLP販売100万枚突破の金字塔を打ち立て、フォーク界で吉田拓郎と並び称されるビッグネームとなった。
長渕剛は、今や日本のスーパースターの座に君臨している。
デビュー当時は、華奢でやせ顏のフォークシンガーだった。
また、1979年「照和」での活動はなかったが、福岡出身のチャゲ&飛鳥が「ひとり咲き」でメジャーデビュー。
1990年代には絶頂期を迎え大ヒット曲を連発、アジアでも絶大な人気を誇った。
photo by Yoshikazu TAKADA 中洲の夜景。
1980年代になっても、福岡は次々と優れたアーティストを生んだ。
「照和」は、甲斐バンドが「HERO」で大ブレイクする直前の1978年11月30日、閉店。
しかし、それ以降も「照和」の出身者から、森山達也率いるTHE MODS、ヴォーカルに久留米出身の石橋凌を擁するARB、陣内孝則のロッカーズと多くのアーティストを輩出する。
さらに、博多区須崎のロック喫茶「ぱわぁはうす」を拠点に活動していた鮎川誠のサンハウス、(のち鮎川は、シーナ&ロケッツを結成。)大江慎也のルースターズらが出て、めんたいロックは日本の音楽シーンに歴史を刻んだ。
その証しに、長崎出身の福山雅治は、THE MODSやARBから強い音楽的影響を受けた。
ARBの石橋凌の初ソロアルバム『表現者』の制作に参加し、自身のオーディションでARBの曲を歌ったことを明かしている。
- アーティスト:THE ROOSTERS
- 出版社/メーカー: コロムビアミュージックエンタテインメント
- 発売日: 2009/02/18
- メディア: CD
久留米出身の藤井フミヤと武内亨が1980年に結成したチェッカーズは、1983年「ギザギザハートの子守唄」でデビューし、超人気バンドとなった。
なぜ福岡からこれだけ多くのアーティストが輩出したのか?
「照和」が開店した1970年、60年安保闘争の終わった虚無感の中、若者たちは、次々に登場した新しい音楽、GSやモダンフォーク、ビートルズなどに強い刺激を受け、活動の場を求めて音楽イベントの自主開催を行うようになった。
ラジオの深夜放送が人気を集めるようになったのも、この頃だった。
これは福岡に限ったことではない。
しかし、時代背景とともに、福岡が大きな求心力をもって、ミュージシャンを目指す若者たちを吸い寄せる磁場となったのは、偶然ではなかった。
福岡市天神地区(写真提供: 福岡市)
当時、九州で数少ないライブハウスだった「照和」。
甲斐よしひろは言う。自分が歌える場所は、ここしかなかった。
福岡の私立大学である西南学院大の財津和夫、福岡教育大の武田鉄矢、彼らは当初、学外でライブをやるときは、天神の須崎公園などで歌っていた。
その彼らに歌う場所を提供したのが、フォーク喫茶「照和」だった。
そこからプロとしてチューリップ、海援隊がデビューしたことで、プロを目指す若者の目が一心に集まった。
その音楽仲間の交流から、離合集散を経て、多くのアーティストがデビューすることになった。
(Photo : デラシネ。店のオーナーの許諾を得て撮影。)
「照和」に出るためには、オーディションがあった。まず、「照和」のマネージャーらに、演奏を聴かせて納得させねばならなかった。
チューリップや海援隊の上京後、「照和」を満杯にできるスターであり、ウェイターをしていた甲斐よしひろは、その時期「照和」を仕切っていたといってもよかった。
その頃、オーディションで彼が見出したメンツは、森山達也、石橋凌。
デビューできなかった人間が、マネージャーをやって、新しい才能を見つけることもあった。
ハリちゃんこと張田龍一、「あかんべぇ」というバンドをやっていた秋吉恵介は長渕剛を見出し、育てた。
デビューしたあとも、彼らの絆は結ばれていた。
チューリップの財津和夫は、所属するシンコーミュージックに、甲斐よしひろのデモテープを聴かせて契約を勧めた。
そして、甲斐よしひろも、ARBの石橋凌を同じように推薦したという。
余談になるが、まだ小学生の藤井フミヤが、久留米から演奏を聴きに「照和」にやってきたことがあるという。
それでも、小学生を入れるわけにもいかず、武田鉄矢らは諭して帰したそうだ。
那珂川沿いの屋台の風景。(写真提供: 福岡市)
地元放送局のディレクターやプロデューサーの強力なバックアップ。
KBC九州朝日放送の、岸川均。
RKB毎日放送の、野見山實。
TNCテレビ西日本の藤井伊九蔵。
彼らは、地元ミュージシャンの発掘、後方支援に大きな役割を果たした。
KBCの岸川は、ラジオで「歌え若者」というアマチュアを出演させる番組の企画を執念で通し、この番組に地元で活動するアマチュアミュージシャンに、多くの出演の機会を与えた。
それだけでなく、目を付けたチューリップや甲斐よしひろをはじめとするプロ志望のミュージシャンには、全国コンテストの出場に同行したり食事に連れて行ったりと、公私ともに父親のような存在であり続けた。
これは、岸川だけでなく、ほかの二人にも同じことがいえた。
岸川が定年退職を迎えた1998年には、山下達郎、浜田省吾ら18組のアーティストが退職記念コンサートを4日間にわたり開催した。
会場は、福岡サンパレス。
その中で甲斐バンドは一夜限りの再結成をし、唯一ワンマンで1日の公演を行った。
私は、生で、そのステージを見た。
岸川氏はステージ上の左側に設けられた特別席に座り、終始にこやかな笑顔で、演奏するバンドの様子を見ていた。
これほど大規模に、退職記念としてコンサートを開いてもらえるローカル局のプロデューサーがどこにいるだろうか?
照和伝説
海援隊の千葉和臣と中牟田俊男が、地元・福岡で、当時を知るKBC 九州朝日放送の岸川均氏や仲間たちと、照和の想い出を語り合います。
RKBの野見山實。
RKBラジオの彼のもとに届けたデモテープがきっかけで、井上陽水はアンドレカンドレとして、CBSソニーからデビューした。
野見山は、「スマッシュイレブン」という夜のラジオ番組をやっており、番組は局の後輩、井上悟に引き継がれた。
陽水は、井上悟にも恩義を感じていた。石川セリと入籍したとき、陽水は「スマッシュイレブン」に電話で生出演し、井上悟に結婚の報告をした。オレは生でそれを聴いていた。
TNCの藤井伊九蔵は、ラジオ局を持たない局であったが、「レッツゴーフォーク」などのコンサートを毎月主催していた。
この3人は、1993年、福岡ドームのこけら落とし公演でステージに上がり、共演した井上陽水、武田鉄矢、財津和夫、甲斐よしひろの4人から、自分たちを育ててくれた3人のディレクターとして紹介されている。
左から、岸川均氏、野見山實氏、藤井伊九蔵氏。
(Photo : 下の記事(西日本シティ銀行の公式サイト)より引用。
(店内のスクラップブックより。)
そして、忘れちゃいけない屋台の存在。「喜柳」のおばちゃん、片渕早苗さん。
天神にある屋台「喜柳」。
「照和」のギャラは、1日2ステージで1,400円。
ソロもバンドも変わりはない。
バンドはメンバーで割って、その日のメシ代と交通費で消えてゆく。
みんなが腹を空かした野良犬状態。
金がないとわかっていても、「喜柳」のおじちゃんおばちゃんは、利益を度外視して天ぷらやメシを食わせてくれた。
まったく利害関係抜き、金だけじゃない暖かさがあった。
だからこそ、彼らのパワーは充電できた。出演バンドのみんながお世話になった屋台が、この「喜柳」だった。
甲斐よしひろは、自分のラジオ番組で、「喜柳」を博多の行きつけ屋台と話していた。
かくいう私も、高校時代、福岡市を訪れて「喜柳」に行ったことがある。
ラーメンを一杯注文して、「おばちゃん、最近甲斐さん来るね?」と思い切って声をかけた。
「ああ、甲斐さんね、うん、たまに来るよ」と答えてくれた。
一世代あとの長渕剛も、福岡の思い出を語るテレビ番組で、「喜柳」を訪れ、片渕早苗さんと再会。当時の思い出話に花を咲かせた。
岸川らが彼らの父親がわりとすれば、「喜柳」のおばちゃんは、母親がわりの存在だったといえるだろう。
NHK総合|きん☆すた「青春旅~長渕剛 in 福岡」
(NHK福岡放送局で2014/7/4(金)放送 。)
次回は、「照和」の現在(いま)をリポートする。
(参考文献、参考とさせていただいいたサイトは下記のとおり。)
- 作者:富沢 一誠
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1982/03
- メディア: 単行本
- 作者:石田 伸也
- 出版社/メーカー: ぴあ
- 発売日: 2014/07/11
- メディア: 単行本
- 作者:甲斐よしひろ
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2010/12/07
- メディア: 文庫
ポップコーンをほおばって―甲斐バンド・ストーリー (角川文庫)
- 作者:田家 秀樹
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1987/05
- メディア: 文庫
(追 記)2017.9.23
この記事を書いたあと、博多初のロック喫茶として有名アーティストを輩出した「ぱわぁはうす」についての書籍が発売されました。
鮎川誠、サンハウス、THE MODS 、ARB などが活動したライブハウスの関係者、アーティストの記事、インタビューなどからなる、貴重な一冊です。
博多のロックシーンを彩ったアーティストの軌跡を知る上で、おすすめします。